サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。趣味で詩も書いてます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

もう悩まなくていい! 本当の自分を見失わないでありのままの自分で生きる驚きの方法

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世の中の人ってだいたい2種類のタイプに分かれます。

 

① 真面目なタイプ

② 天然なタイプ

 

 

僕は完全に②のタイプですね。笑 

結構、経営者とか芸術家とかに多いタイプが②だと思います。

 

①のタイプはどっちかって言うと公務員とか真面目なリーマンが多いと思います。 

そして、しばしばこの2つはぶつかるんです。

まるで正反対のタイプだから。

 

それで、どっちも大事。

 

カタブツの公務員的な人ばっかりの世の中も問題あります。

無茶するヤツ、はみ出すヤツがいるからこそ「成長」とか「新しい風」みたいなものが生まれてくるんです。

 

一方において、世の中すべてがアウトサイダーな人ばっかりになっても、これはこれで困る。

秩序も無秩序、どっちも必要。

どっちが欠けても社会はおかしくなります。

 

天然でもいい!   

割と何でもテキパキ出来ちゃう人っていますよね。

会社にもそういう人、たくさんいました。

 

真面目で頭が切れて、みんなから信頼されるタイプ

人事担当者が求める人材でやつにぴったり合致するようなタイプ

 

それに対して天然キャラの人っていうのはどっちかって言うと人事担当者が嫌うようなタイプかもしれません。

不真面目ってわけじゃないんだけれど、どこか抜けていてボケをかますみたいなタイプです。 

だけど、そういう天然タイプの人に限って大化けしたりするんですよね。

 

「空気が読めるタイプ」と「空気が読めないタイプ」という分け方もできるかもしれない

「周りが見れるタイプ」と「周りが見れないタイプ」という言い方でもいいかもしれない

 

とにかく真面目な人と天然な人というのは水と油の関係なんです。 

でも、真面目な人ってある意味においては狭い視野でしか物事が見れていないという危険性もはらんでいるものです。

 

どういうことかと言うと、社内で評価が高い真面目な人というのはその会社の中のことだけしか目が向いてないということです。

職場の中でリーダーシップを発揮している人というのは、『職場』という小さな世界のことしか目に入っていない人が多い。

 

だけど天然キャラの人はちゃらんぽらんに見えるかもしれないけれど、その会社以外のこと(たとえば、映画だとか音楽だとかファッションだとかスポーツだとか…)、そういったことにも目を向けることができる。 

 

悪い言い方をすれば注意力散漫ということになるんだけれど、良い言い方をすればそれは『社内に新しい風を送り込み、可能性を広げる』という言い方もできるます。

 

 

無秩序があるから秩序が維持される 

このご時世、過去と同じことを真面目に繰り返していればうまくいくというわけではなくなってきています。

次から次へと新しい発想を持ち込んで、新商品なり新サービスなりを開発していかなければ生き残っていけない時代になっています。

 

だから意外に経営者には空気が読めない天然キャラタイプの人が多いんです。

質実剛健・終始一貫・真面目なサラリーマン・タイプの人はあんまり経営者には向いていません。

 

・・・いや、そういう人は経営者にはなれない。

経営者の片腕としてきっちり仕事をこなすことはできるけれど。

 

世間一般で頭のいい人って言われるタイプの人は僕がここで言っている真面目なタイプということになると思います。

それに対して、僕がここで言っている天然キャラの人というのは世間一般的には「おまぬけさん」と言うレッテルを貼られることが多いと思います。

 

だけど世界の偉人なんかを見ていると、結構こういう「おまぬけさん」がすごいことを成し遂げたりします。 

例えば、エジソンとかアインシュタインなど。

 

決して真面目な優等生キャラじゃないですよね。

だけど、すごいことを成し遂げた。

スティーブ・ジョブズなんかも完全にそういうタイプですよね。

 

だから、これはもう世の中には二種類の人間がいるんだと思って諦めるしかないんじゃないかなと僕は思っています。

真面目な人は天然キャラの人を嫌がるし、天然キャラの人は真面目な人を煙たがる。

 

これはもう諦めるしかないです。

 

どっちがいいとか、どっちが悪いとかの問題じゃない

どっちが優れていて、どっちが劣っているという問題でもない

社会にはどっちも必要だし、どっちかが欠けてもおかしくなっちゃう。

 

会社の中にもこの2種類の人間が同居しているからうまく回っていくんだと思います。

だから、「あいつは調子がいいやつだ」とか、「あいつは仕事もしないのに俺よりも出世しやがって」とか、「あいつは上司から可愛がられているだけだ」とか、そんなことばかり言ってないで、「そうか、あいつも必要な人間なんだなあ」というふうにもっとおおらかな目で見た方がいいと思いますよ。

 

秩序ばっかりの会社はきっとうまくいかないと思う。

無秩序があるからこそ秩序がキープされるんです。

 

難しい言葉で言うと、『エントロピーの法則』ってやつですね!

 

 

「真面目に生きる」ということを過剰に評価しすぎている

世の中的には、あまりにも「真面目な人の方がいい」という価値観が横行しているから、天然キャラの人はなかなか居場所を発見できず悩んでいる人も多いと思います。

僕も散々悩んできました。

 

だから本当は天然なのに天然じゃないふりをしてみたりしちゃう。

真面目でキチッとというのが本当は苦手なのに無理して真面目でキチッとキャラを演じてみたりね・・・

 

だけど所詮はそれは演技でしかないし、メッキはいつか剥がれる。

だんだんそれを演じているうちに苦しくなってゆく。

 

もしかしたら人から真面目だと言われている人って本当は天然タイプの人なのかもしれませんね。

そういう天然タイプの自分が嫌で、あるいは親から強制的に強制されて、真面目なキャラを演じているだけなのかもしれない。

 

だから悩んでいるのかもしれない。

だから苦しくてしょうがないのかもしれない。

 

 

こんなに真面目にやってるのにどうしてうまくいかないんだろう。

 

こんなに一生懸命やってるのにどうしてあんなちゃらんぽらんなあいつばかりちやほやされるんだろう。

 

 

そんなふうに思ってませんか?

それはもしかしたら本当の自分が潜在意識の中から叫んでいるだけなのかもしれない。

 

 

本当の自分はそんなんじゃないぞ

本当はお前も天然なんだぞ

むかつくあいつはもう一人の自分なんだぞ

自分の投影なんだぞ

その自分の投影を見てムカついてるだけなんだぞ

 

 ・・・・って。

 

 

僕は38歳の時に脱サラ起業したんですが、それまでは社内では真面目なキャラとして通っていました。

だけど、それが苦しくて苦しくて本当はそんな自分が嫌で嫌で仕方なかったんです。

 

もっと自由に、もっとわがままに、もっと楽しく人生を謳歌したいといつも思っていました。

だけど真面目キャラで通っていたためにずっとそういう自由奔放なキャラになれなかった。

 

でも、「これじゃいけない!」と思って真面目キャラをやめることにしたんです。

そして、何もかも放り投げて新しい世界へ飛び込んだんです。

 

もちろん怖かったし、リスクもいっぱい背負ったけれど、結果的にはその決断は正しかったです。

そのおかげで僕は救われました。

 

僕はやっぱり天然キャラ・タイプだったんです。

それを「真面目」という仮面をかぶっていたんです。

メッキを塗って自分をごまかしていたんです。

 

本当は自由奔放で、ちゃらんぽらんで、空気の読めない天然なヤツだったんです。

 

皆さんはどうだろう。

自分をごまかしていないだろうか。

 

 

幸せを手にしたかったら誰かを笑顔にしよう 

幸せというのは頑張ったり見つけたりするものじゃないと僕は思っています。

もうすでにみなさんは幸せを手にしているんです。

 

みなさんを幸せにするものはもうすでに持ってる。

そのことに気づいてないだけなんです。

 

だからぜひ前向きに生きてほしい。

わざわざ探しに行かなくても、もう十分魅力的だし、素敵な人間なんです。

 

それなのにみなさん自身は「そうじゃない」と思っている。 

自分はダメな人間で、自分の人生はダメな人生だと思ってる。

 

そう思ってるから、当然顔に出る。

表情が暗くなったり、イライラしていたりする。

 

そんな顔つきした人のこと、誰が愛するでしょう。

みなさんのとなりにそういう顔つきをした人が来たら、みなさんだったらどんな気分になりますか。

 

 

今日は残りの人生の最初の日

 

 

今日から幸せになってください。

昨日までの不幸な自分はもうどこかへ行ってしまったんです。

 

幸せになるには「コツ」があるんです。

でもその内容は時代によって変化します。

 

かつては勉強していい大学に入り、いい会社に就職して真面目に働けば幸せになれました。

そういう時代が長く続きました。

 

でも、今はもうそのやり方は通用しなくなってしまいました。 

 

幸せを感じられる瞬間って、「ああ、自分は(誰かから)愛されてるなぁ」ということを実感することです。

 

人に愛されたかったら人から喜ばれることをしなければいけません。

 

 

魚を釣るためにはミミズとかゴカイとか魚の好きなものを餌にしないと絶対に釣れない。

いくら自分がパフェが好きだからって、パフェを餌にして魚釣りする人はいないよね。

 

幸せを手に入れたかったら、誰かを笑顔にすることを実践してみてください。

必ず自分に返ってきますから。

 

 

まとめ

 

ddnavi.com

 

よく仕事を選ぶっていうけど、仕事って選ぶものじゃなくて自然と引き寄せられるものじゃないかな。 

 

僕が不動産業界に行くことになったのは僕が選んだというよりも『呼ばれた』といった感覚の方が強い。

少なくとも最初から「不動産の世界に行こう」なんて思ってなかったよ。

 

引き寄せの法則って確実にある。 

恋愛にしても、仕事にしてもさ。

 

「そのときの自分」に必要なことが引き寄せられてくる。

だから自分の状態を良いものにしておけば、必ずいいものが引き寄せられてくる。

 

もしも悪いことが起こったのなら、それは自分の状態があまりよろしくないと思った方がいいよ。

 

 

『桐島、部活やめるってよ』っていう映画は単なる青春映画じゃない。

あの作品のなかには人生で重要な要素みたいなものがたくさん散りばめられているよね。

  

 

宏樹「なんのための映画撮ってるの?」

 

前田「俺たちが好きな映画と、今自分たちが撮ってる映画がつながってような気がしてさ…」

 

  

『桐島、部活やめるってよ』におけるこの2人の何気ない会話の中に、僕は人生で最も重要なことが集約されていると思っている。

 

『自分が好きなことをやる』って意味とか結果とかよりも重要なこと。

 

それをやることに意味はあるのか

それをやると儲かるのか

それをやると人から賞賛されるのか

それをやると女にモテるのか

 

それって本当に重要?

 

ただひたすら自分の好きなことをやっていちゃいけなんだろうか。

たとえそれが意味がなくても、儲からなくても、人から賞賛されなくても、持てなくても…

 

養老孟司先生の講演を聞きに行ったことがあるんだけど、そこで先生は何度も、『現代人たちが意識の世界に囚われすぎている』と警鐘を鳴らしていた。

 

人間はもっと自然体だった

無邪気だった

自由だった…

 

ただ純粋に自分の好きなことをやろう。

結果とか評価とか点数とか金額とかなんて気にせずに!

 

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僕はこの世に『苦しみ』に来たんじゃなくて、『楽しみ』に来たんだと思ってる。

楽しむために生まれて来たんだと思ってる。

 

もっと言うと、「遊び」に来たんだと思ってる。

だから目一杯好きなことやって、遊んでから帰ろうと思ってる。

 

「こうだったらオレはこんなに風になれたのに」という考え方はよそう。

あるがままの自分を受け入れよう。

そうすると少しだけ自信が湧いてくる。

 

うちの猫は普通の野良猫だけど、きっと「あー、アメリカンショートヘアだったら良かったのに…」なんて考えてないはずだ。

だから毎日とても幸せそうだよ。