僕は不動産投資をやってメシを食っています。
「そんなもんで食えるの?」と疑問に思う方も大勢いらっしゃると思いますが、とにかく食えちゃってるんだから仕方ありません。
このビジネスをやっていてつくづく「ああ、良かったなー」と思うのはとにかく時間があることです。
不動産投資というのは基本的に不労所得ですから自由になる時間をたっぷり得ることができるのです。
自由な時間を得る生き方は僕の憧れでした。
だから僕は社会人になってわりと早い段階から、「会社からの給料がなくても生きていける方法」とか、「サラリーマンを辞めてどうやって生活していくか」というようなことを真剣に考えてきました。
けしからん奴ですね。
社会人として不真面目な態度ですよね。
すみません。笑
でも僕はどうしても大学を卒業して社会人になったら、身も心も会社に捧げて生きるという『日本的ライフ・スタイル』が受け入れられなかったのです。
だから僕はそういう価値観とは正反対の方向に進むことにしました。
僕のサラリーマンとしてのキャリアは37歳のときに終焉を迎えます。
目次
- 不動産投資は、不労所得を生み出してくれる
- 両親や学校の先生が行っていたことは全部ウソだった!
- 収入を得る方法はいろいろある
- 晴耕雨読な生き方をしてみたいと思ったことはありませんか?
- 自由でなければ意味がない
- 不動産投資を成功させることができれば自由は手に入る
- もうあんまりガツガツ生きる時代じゃない
- 不労所得こそがサイコーの所得である理由
- まとめ
不動産投資は、不労所得を生み出してくれる
僕が選んだ不動産投資というビジネスは労力をそれほどかけなくても収入が入ってくるビジネスです。
「そんなバカなことあるか!?」と最初は思いましたが、実際やってみると本当にそうでした。
これは驚き以外の何ものでもありませんでした。
「なんじゃ、こりゃ!」と思いました。
それと同時にどうしてお金持ちはあんなに悠々自適に暮らすことができるのか?という謎が解けました。
彼らは一生懸命働いたから金持ちになったんじゃないんです。
一生懸命働かなくても収入が得られる仕組みを手に入れたから、金持ちになれたのです。
その仕組みに気づいた僕は一棟、また一棟と物件を増やしていきました。
会社員として働いていた頃、仕事の量が増えるとそれに比例して忙しさも増えていきました。
しかし不動産投資はそのまったく逆でした。
物件の数が増えれば増えるほど、どんどん暇になり、自由な時間が増えていきました。
物件の管理や日々のメンテナンスもしっかりとした不動産管理会社と契約さえ結んでしまえば、それでOK。
家賃の集金
クレーム対応
滞納の督促
物件の定期清掃・定期点検
etc・・・・
何から何まで管理会社が全部やってくれます。
はっきり言ってラクチンです。
両親や学校の先生が行っていたことは全部ウソだった!
サラリーマンをしていた頃、僕は「収入をたくさん得るためにはたくさん働かなきゃいけない」と思い込んでいました。
だけどそれは間違いでした。
世の中には収入を得る方法というのは実にたくさんありました。
収入を得るためには必ずしもたくさん働く必要はない。
この事実を知った時は本当に驚きました。
それと同時に、親や学校の先生やまわりの大人たちが言っていたことが『全部ウソだった!』ということに気づきました。
仕事は従業員に任せて、自分は昼はゴルフ・夜は繁華街で飲み歩いている社長さんたちもたくさんいます。
それがいいことなのかどうかの議論は横に置いておくとして、とにかくそういう人は『収入と自由な時間を得るためのシステム』を構築している人です。
そこは評価に値することなのではないでしょうか?
収入を得る方法はいろいろある
今、僕は家族と過ごす時間を満喫しています。
こんな風にたっぷり家族と過ごせるなんてまるで夢のようです。
サラリーマンをしていた頃には将来自分がこんな暮らしができるようになるなんて夢にも思っていませんでした。
これは僕が「人に雇われる側」ではなく、「人を雇う側」に移ったことによって実現できたことです。
もっとも大切なことは自分の代わりに稼いでくれるものをいかにして手に入れるかということです。
自分がその場にいなくても、自分が風邪をひいて休んでも、病院に入院したとしても自分の代わりに働いてくれるもの。
それをゲットできるかどうかが、いちばんのポイントなのです。
それは人であるかもしれないし、物であるかもしれません。
「お金がほしかったら、一生懸命、働け!」と僕に教えた両親や学校の先生たち・・・
よく考えてみたら彼らは人に雇われる側の人間です。
雇う側の人間ではないのです。
だから必然的にものの考え方や発想がすべて『人に雇われる側の論理』になってしまう。
これはある種仕方のないことです。
晴耕雨読な生き方をしてみたいと思ったことはありませんか?
はっきり言って、僕が実践している晴耕雨読な生き方は中途半端な生き方です。
「矛盾した生き方」と言ってもいいかもしれません。
どっちつかずで、とらえどころがなく、そして両陣営から突っ込まれやすい曖昧な立場です。
でもだからこそいいんじゃないかとも思ってるんですけどね。笑
もうこれからは「これしかない!」といった具合に一つにしぼる時代じゃないような気がするんです。
晴れた日には畑を耕し、雨が降ったら読書をする。
ほどほど働き、ほどほど遊ぶ。
僕はそういった生き方に圧倒的な自由を感じます。
もちろん、こういう生き方を選択すれば大金持ちにはなれないかもしれません。
社会的なステータスも得られないかもしれない。
でも、その代わり心の安らぎと圧倒的な自由はあります。
多くの人が求めているのはそれなんじゃないかな。
人からどう思われかよりも自分や自分の家族が納得してハッピーならそれでいいんじゃないかと最近はわりと開き直っています。
自由でなければ意味がない
そんなに出世したい?
そんなに大金持ちになりたい?
そのために朝から晩まで身を削って、自分の自由な時間を奪われて、、、、それでハッピーかな??
僕は『自分の自由な時間を削ってまで勤めてる会社に身も心も奉仕する』という生き方はもう古いと思っているんです。
それは20世紀型の生き方です。
21世紀はあまり頑張りすぎないでほどほどの暮らしがしていればそれでいいのではないかと思ってるんです。
これに対しては、異を唱える人も大勢いると思います。
「この競争社会の世の中でそんな呑気なことは言ってられるか!」
「やっぱりお金を稼いでナンボじゃないか!」
「グローバル化の波に乗り遅れたら大変なことになるぞ!」
etc、、、、
いろんなことを言ってる人もいます。
だけど、そうしたイケイケ・ドンドンの路線は散々やってきましたよね。
その結果がこの有様ですよね。
だったらもう少し違うアプローチをそろそろ試してもいい頃なんじゃないでしょうか。
企業側は生産性を上げて収益を得ることに躍起になっています。
それが会社というものだから仕方ない面はあるんだけど、それが行き過ぎると不幸になってしまう面もあると思います。
労働者はボロボロになっていき、企業だけが内部留保を積み上げてゆく経済システム・・・・つまるところそれがこのグローバル資本主義の本質なんだと僕は思っています。
みんなそろそろそれに嫌気がさしてきてるような気がします。
僕が言ってる『晴耕雨読』というライフスタイルはそういったイケイケ・ドンドン型とは正反対のものです。
だからきっと反発もされると思います。
違和感を持つ人も多いと思います。
実際、僕もいたるところで白い目で見られるしね。笑
不動産投資を成功させることができれば自由は手に入る
「そんな生き方できっこない」「そんなの無理だ」と思う人も多いと思います。
その気持ちはよくわかります。
不動産投資というものを知る前の僕だったら、『晴耕雨読』なんて現実離れした絵空事以外の何ものでもないと思っていいました。
でもそれは絵空事でもたわ言でもなく、やろうと思えばできることなんです。
僕は不動産投資というものと出合い、考え方が変わりました。
収益物件を取得し、そこから毎月家賃を得て、その家賃で家族をやしなって暮らしてゆく。
会社に行く必要もないし、好きなときに寝て、好きなときに起きれる生活。
毎日が日曜日のような暮らし。
僕はもうそんな暮らしを10年続けています。
それを可能にしてくれるのが『不動産投資』というものなんです。
そして、それはそんなにむずかしいことじゃないんです。
晴耕雨読(せいこううどく)
=晴れた日には畑を耕し、雨が降ったら家でのんびり本でも読んで暮らす
そんな自由な生き方をしたいと思いません?
僕がやってる不動産投資を上手にやればそれは実現できますよ。
晴耕雨読な生き方を選択すれば、「圧倒的な自由な時間」と「ストレス・フリーな心の平安」が得られる代わりに社会的ステータスとかは失うことになります。
僕なんかいっつもいろんな人から白い目で見られてるよ。笑
考えてもみてください。
40過ぎの大の男が平日の昼間っからスタバでコーヒーを飲んだり、図書館をブラブラしたり、スポーツジムに行ったりしてるんですよ。
へんだよね。
おかしいよね!笑
でも僕は「人からどう思われるかよりも自分や自分の家族がハッピーならそれでいいんじゃない?」と考えたのです。
朝から晩まで身を削って働いて、自分の自由な時間を会社に奪われて・・・・・それでハッピーかな?って思ったんです。
もうそういう24時間戦えますか的イケイケ・ドンドン路線じゃ人は幸せにはなれないってことがバレてきちゃった。
最初は絵空事だと思ってました。
でも不動産投資というものを知って考えが変わりました。
収益物件を取得し、そこから家賃を得て、それで家族を養って暮らしてゆく
会社に行く必要もないし、職場の人間関係のストレスに悩まされることもない
僕はそんな暮らしを10年続けています。
晴耕雨読はいいですよ~
もうあんまりガツガツ生きる時代じゃない
僕は晴耕雨読(せいこううどく)な生き方が好きなんです。
あんまりガツガツしないで、「晴れてる日は働いて、雨が降ったら家でのんびりする。
そう生き方っていいと思いませんか。
僕はそういう生き方がしたくて不動産投資なんていうリスクいっぱいのものをはじめたのです。
要するに、『ほどほどでいいんじゃないか』ということです。
あまりガツガツして生きるのもなんだか疲れますよね。
かといってダラダラしてばかりいたら人間がダメになってしまう・・・
そのちょうど中間くらいの曖昧な生き方がいちばん丁度よくていいんじゃないかと僕は考えたのです。
そのような生き方、そのようなライフ・スタイルというのは実は今、多くの人が目指し、望んでる生き方なんじゃないかなと思うのです。
みんなもうこのグローバル資本主義の消耗戦に疲れてきている。
『グローバリゼーション』という概念が誕生したとき、みんなそれをもろてを上げて歓迎しました。
「これこそが21世紀型の素晴らしい考え方だ!」と・・・
でもグローバリゼーションは人々を幸せにはしませんでした。
結局。そこに待っていたのは圧倒的な『格差社会』だけでした。
その格差社会で傷ついた人々の心の叫びがドナルド・トランプという怪物を生み出してしまったのです。
資本主義は今、完全に行き詰まっています。
ベルリンの壁が崩壊し、ソ連という国がなくなり、冷戦構造が崩れ去ったとき、誰もが「資本主義が勝利した!」と思ったはずです。
ところが実際にはそうではなかったんです。
資本主義も人々をハッピーにしないということがバレてしまったのです。
かといって、今さら共産主義・社会主義革命を標榜するというのも何か違うような気がします。
あっちもダメ、こっちもダメ・・・・そういった袋小路のなかで僕たちは今、生きているのです。
何が正解で、何が間違っているのか
誰が正しいことを言っていって、誰が間違ったことを言っているのか
みんなわからなくなってきている。
世の中はますます混沌と化している。
そういう「どうしたらいいかわからない…」という不安な状況でとまどってる人に僕がおすすめしたい生き方は僕が実践している晴耕雨読(せいこううどく)な生き方なんです。
もうあんまりガツガツ生きる時代じゃないんじゃないかなと僕は思うんです。
不労所得こそがサイコーの所得である理由
僕はサラリーマンをしていた頃、何かに急き立てられるように忙しい日々をおくっていました。
そして、そういう生き方に何も疑問を持っていませんでした。
社会に出たらみんなそうやって朝から晩まで忙しく働くものだと思っていたし、それ以外の生き方があるなんて夢にも思っていませんでした。
だけどそういった非人間的な生き方がだんだんとシンドくなっていったのです・・・
30歳前後の頃の話です。
その頃から僕はそうしたサラリーマン的生き方に疑問を感じるようになっていきました。
「このまま会社に身も心も捧げて生きていていいのだろうか?」って。
僕は大きな壁にぶち当たってしまったのです。
でもそうした生き方に疑問を感じつつもそこから抜け出す方法がわからなかった。
僕はもう結婚もしていたし、家には妻も子どもいました。
だから僕はどうにかして生活費を稼がなきゃいけない立場だったのです。
何もかもを放り出して自分の好きなことだけして生きるわけにもいかなかった。
だから最初から会社からもらう給料に匹敵する額の収入を稼ぐ必要があったのです。
何らかの方法で・・・
そこから僕の試行錯誤がはじまりました。
そして、いろいろな紆余曲折を経て、ようやくたどり着いたのが『不動産投資』というものだったのです。
僕はこの不動産投資のおかげで晴耕雨読な生き方ができるようになったというわけなのです。
不動産投資は晴耕雨読な生き方を可能にしてくれる最適な方法でした。
上手にやれば不労所得が得られるからです。
この『不労所得』ってやつがいちばん重要なこと。
何と言っても、管理会社に物件の管理を任せてしまえばこちらはほとんど労力をかけなくてもOKなんですから!
それは僕にはとても魅力的なことに思えたのです。
「ぜひ僕も不労所得が得たい!」「不動産投資がしたい!」と僕は心の底から思いました。
僕が不動産投資というものをやろうと思ったきっかけはすべては『晴耕雨読な生き方がしたい!』という僕の想いが発端だったのです。
はっきり言って不動産投資をやれば不労所得が得られることは間違いないよ。
まったく労力がかからないわけじゃないけど、サラリーマン時代に死ぬほど忙しい毎日を送っていた身からすればそれは天国のようでした。
労力が少なくて済むってことは、「自由な時間を確保することができる」ということを意味しているのです。
自由な時間ができれば、のんびり本を読んだり、スポーツをしたり、家族と過ごしたりすることができる。
まさにこれこそ僕が望んでいた生き方でした。
世の中そんなに甘いものじゃないぞ!
ラクして儲けることばかり考えていたら手痛い目に遭うぞ!
まわりの大人たちから僕は散々そんな言葉を浴びせられました。
でもこの年になって思うのは、『それはすべてその人がそう思い込んでいるだけのことだった』ってことです。笑
以前の僕は大金持ちや、不労所得を得て暮らしている人なんかを、「ふん、どうせ裏で悪いことでもやっているんだろう」という目で見ていました。
その頃の僕は『真面目さ』と『豊かさ』は必ずしも相関関係にないという事実を知らなかったのです。
でも今は違います。
勤労所得で得たお金も、不労所得で得たお金も『どちらも同じ“お金”なんだ』ということを学びましたから。
まとめ
雇われるだけの人生に僕は猛烈な違和感を持っていました。
こういうタイプの人間はサラリーマンには向いていません。
だから僕はドロップアウトする道を選びました。
親や教師、まわりの大人たちの言うことに反発したのです。
子どもみたいにダダをこねて、「イヤだ!」とまわりが僕に押し付ける価値観を拒否しました。
家族と過ごす時間を犠牲にしてまで働くのはまったくのナンセンスだと思いました。
まわりからはものすごく攻撃され、笑われ、バカにされました。
「お前は社会不適合者だ!」と。
結構だ!と僕は思いました。
誰に何と言われようと、自由を求める生き方をしたいと思いました。
『自由』こそが僕の生きがいでした。
ある人に言わせれば、それは「おかしい」生き方です。
でもそれこそが僕の望んだ生き方なのです。
ブラックはこんな言葉を残しています。
自由は勝ち取るものであって与えられるものではない。

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