サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。詩人(?) 不動産投資と株式投資やってます。趣味で詩も書いてます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

もっと自己流でいい! 「世間の常識なんてくだらない」と思った人から先に幸せになってゆく法則

僕は2011年に脱サラ・起業し、自由気ままな毎日をおくるようになりました。

いわば、世間一般的に主流と思われてる道から外れ、アウトサイダーな道に行ったわけです。

そういう立場になってあらためて思うのは「みんないろんなものに縛られすぎなんじゃないか?」ということです。

みんなあまりにも「こうあるべき」「こうでなければならない」という強迫観念に縛られて生きているように僕の目には見えます。

彼らを縛りつけているものの正体は、いったい何でしょうか。

それを具体的な言葉にするのは、非常にむずかしいことです。

でもあえて言うなら、『常識』という言葉がいちばんしっくりきます。

そう、みんな常識に縛られているのです。

もっと、「自分のモノサシ」で生きればいいのに…

今回はそんなことをテーマに書いてみたいと思います。

目次

 

僕はむかし、『常識』や『固定観念』に縛られた人間だった

f:id:orange345:20191109062519p:plain

 

○○すべき
○○してはいけない

 

かつての僕はそのような固定観念に縛られた視野の狭い人間でした。

そういう考えにとらわれてしまうと、「それ以外のものは全部ダメ!」という非常に極端な思考をするようになります。


これがいちばん恐ろしいことです。


いろんなモノが混然一体となり、多様性があるから、この世は面白いのです。

だからこそ、人生は生きる価値があるのです。

それなのに以前の僕は、すべてのことを一色に染めようとばかりしていました。

当然、そうした生き方は自分の首を絞めることになります。

もっとおおらかに、もっと自由に、もっとのんびりと生きればいいのに、むかしの僕はそれができませんでした。  

 

 

あなたは今、誰かが決めたレールの上を歩いていないか?

f:id:orange345:20191111092126p:plain

常識に縛られすぎることの弊害はすべてのことを「世間一般的のモノサシ」でしか判断できなくなってしまうことです。
でも世間で良しとされてることことって、実は何の根拠もないものなのかもしれないのです。

僕がハマったアメリカのドラマ『FARGO/ファーゴ』(めちゃくちゃ面白いので、ぜび観てください!)のなかに、何度もこんな言葉がくり返し登場します。

 

 

もしも、まわりが間違っていて、自分が正しかったらどうする? 

 

 

これは何を象徴している言葉なのでしょうか?

FARGO/ファーゴ DVDコレクターズBOX

FARGO/ファーゴ DVDコレクターズBOX

 

 

勉強して、いい大学に入らなければ、いい会社に就職できない

30歳にまでに結婚しなければならない

子どもが生まれたらマイホームに住まなければならない

最低でも年収は600万円以上なければならない

投資はギャンブルと一緒だ。絶対にしてはいけない

会社に就職したら、65歳になるまで絶対に辞めてはいけない

自分でビジネスをやるなんて、危険すぎる

銀行から何億円も借金をするなんて、気が狂っている

etc・・・

 

それらの事柄が実は全部ウソだったらあなたはどうしますか? 

今は世間のモノサシを捨てて、「自分のモノサシ」で生きなきゃいけない時代なのではないでしょうか。

自分だけのレールの上を歩いてゆくのです。

誰かが決めたレールの上ではなく…。 

 

まわりが間違っていて自分が正しかったらどうする?

f:id:orange345:20191121154541p:plain

多くの人が最も恐れていること。

それは自分ひとりだけみんなと違うことをやることです。

自分だけ外れてしまうことです。

それが人々を不安にさせます。

でも考えてみてください。

あなたが正しくて、世間が間違っているかもしれないのですよ! 

僕は2011年に脱サラ・起業しましたが、あの時、僕は散々まわりからこんなふうに言われました。

お前は間違ってる

お前のやろうとしていることは無茶苦茶だ

お前はバカだ

アホだ

間抜けだ

 


でも今、僕は幸せな毎日をおくることができています。

世間一般で良しとされてるものなんて、実はいい加減なものなのです。

それが正しいかどうかなんて、実は誰にもわからないのです。

みんな根拠も何もないものを信じて生きているのです。

 

 

 

自分の人生を自分で仕切ることができるようになれば、不安から解放される!

f:id:orange345:20191117095019p:plain

僕はもうサラリーマンじゃないから会社という後ろ盾はありません。

でも不思議なことに不安ではありません。

サラリーマンをしていた頃の方がよっぽど不安感に苛まれていました。

今の僕には「自分のモノサシ」で生きているという実感があります。

今の僕には「世間のモノサシ」は一切関係ない。

僕は自分の人生を自分で判断し、仕切ることができます。

そこにあるのは、圧倒的な自由です。

僕は全部自己責任でやっています。

確かにラクなことではありません。

でもその代わり、誰の指図も受けません。

この「自分の人生を自分で仕切ることができる幸せ」。

これは「自分のモノサシ」で生きてる人間にしか味わえない幸福感です。

 

常識にふりまわされるな!

f:id:orange345:20191204154113p:plain

 

あんまり常識に振り回されない方がいい。

そのうち他人のアラ探しやネガティブ・チェックがはじまるよ。

 

「〇〇すべき」

「〇〇してはいけない」

「あいつは遅刻した」

「あいつの仕事ぶりは不真面目だ」

「あいつはあんなことをした」

「あいつはあんなことを言った」

 

もうちょっとさ、人を許してみようよ。

政治権力に対しては監視の目を緩めてはいけないけれど、それ以外の普通の人にはあんまり厳しい目を向けなくていいんじゃない?

 

人間以外の動物には遅刻も仕事もないんだからさ。

あんまり真剣すぎると、ノイローゼになっちゃうよ・・・

 

常識に縛られてばかりいると可能性が1コ1コ消えてゆく。

 

自分は何もしていないのにお金持ちなマダムもいるよね。

優秀な社員に働かせて自分はビーチで寝っ転がって過ごす社長もいるよね。


そういう存在に自分もなれるかもしれないんだよ。

そういう自由や幸せを手に入れられるかもしれないんだよ。

 

もう「わたしはこんなに頑張ってるのに、それに比べてアイツは・・・・」的な目で世の中を見るのやめにしませんか?

それ、自分の首を締めるだけだから。

 

自分にも厳しい人は他人にも厳しい。

でも、そんなに一生懸命にならなくてもいいんじゃない?

 

そのままのあなたでも十分素敵だよ。

だから人のこともそんなに攻撃する必要もないんだよ。

 

「何もできない自分」も「何もできない他人」もどっちも認めてあげよう!

そんなに必死にならなくてもいいんだよ。