サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

僕が「試練というのは悪いことばかりじゃない。それは通過儀礼だ」と考えてる理由


僕が「試練というのは悪いことばかりじゃない。それは通過儀礼だ」と考えてる理由

 

 

「試練」というのは誰にでも必ずやって来るものです。

でもその試練というものをあまりネガティブなものとして捉えない方がいい。

 

試練というのは『いいこと』とワン・セットになってることが多いからです。

だから何らかの試練がやって来たら表面的なネガティブな側面ばかりではなく、裏側にあるポジティブな側面も見るようにした方がいいです。

 

僕は不動産投資をやって生活をしています。

不動産投資をやって生計を立てるためには物件をたくさん取得する必要があります。

1つ2つ程度の規模じゃとてもじゃないけど家族を養ってゆくことは不可能です。

 

でも物件をたくさん取得するとなると銀行からたくさんお金を借りなければならなくなります。

その借金の額は数億円規模のものになります。

それは誰が考えたってリスクです。

 

普通の人はそんな額の借金を背負ったりなんかしません。

それはちょっとした試練です。

 

ネガティブな側面ばかりに目を向けていると恐怖に全身が支配されてしまって一歩も動けなくなってしまいます。

足がすくんでしまい、実際に銀行から何億円もの借金をする人はほとんどいません。

 

購入したあとでさえ、「いったいオレはなんてバカな選択をしてしまったんだ」「今すぐ物件を売却処分して借金を全額チャラにしたい」なんて考えてしまうこともあるでしょう。

やっぱり多額の借金をするということはすごく怖いことです。 

 

僕の背負った借金の総額はMAXの時でゆうに3億円を超えていました。

ちょっと考えてみてほしい。

そんな多額の借金を背負ってる人、みなさんのまわりにいますか?

きっと一人もいないはずです。

 

でも試練には必ず『いいこと』も引っ付いてくるもの。

必ずポジティブな側面がワン・セットになっています。

 

その試練は僕に自由と豊かさをもたらしてくれました。

僕が今、こんなに自由気ままに暮らすことができているのは間違いなくあの時、多額の借金を背負うという試練を乗り越えたからなのです。

 

借金をすることは僕にとってはひとつの試練でした。

でもその試練を乗り越えた先に待っていたのは『栄光』でした。

『ハッピー』でした。

『ストレス・フリーな生活』でした。

 

もしもその試練が僕の元に訪れなかったとしたら僕は間違いなく今でも暗い顔をしてサラリーマンをつづけていたことでしょう。

そう考えたら、『試練っていうのも考えようによっては悪いものではないのかも』と思えてきます。

 

みなさんは初めて彼女に告白したときのことをおぼえているでしょうか。

それはきっとみなさんにとっても「とてつもない試練」だったはずです。

「もう嫌だ」「フラれたらどうしよう」「なんでこんなことしなきゃいけないんだ?」「なんで告白なんて苦しい苦行に耐えなきゃいけないんだ」ってきっと思ったはず。

 

でもどうでしょうか。

その試練を乗り越え、勇気をふりしぼって告白したおかげで彼女をゲットすることができたのではないでしょうか。

結婚まで漕ぎ着けた人もいるかもしれません。

 

そのときは試練に思えたとしても、そこを乗り越えてしまえば「やって良かった」と思えるもの。

逆に言えばこういうことです。

もしもその試練に遭遇していなかったならば手に入れることができなかったこともあったということです。

 

素敵な恋人をゲットすることは「好きな人に告白する」という試練を乗り越えた人だけに贈られるご褒美なのです。

その試練を避けた人や逃げ回った人はそのご褒美は得られないのです。

 

人生には幾度となく試練がやってきます。

試練は必ず誰にでもやってきます。

それを避けることは絶対にできません。

でもその試練に打ち勝つことができたら自分に自信が持てるようになります。

勇気が湧いてきます。 

 

だから試練を「悪いもの」として捉えない方がいい。

もしも試練がやって来たら、『これはチャンスだぞ!』と思うようにしましょう。

実際そうなのだから・・

 

松下幸之助さんも「自分は貧乏で、体が弱く、勉強もできなかったから成功した」という言っています。 

 

貧乏だったから丁稚奉公に行かざるを得なく、その奉公に行った先で世の中の仕組みについてみっちりと学ぶ事ができた。

 体が弱かったから誰かを頼らざるを得ず、そのおかげで人の懐に入って人から可愛がられる術を学んだ。

勉強ができなかったから自分よりも優秀な人に質問し、それを素直に受け入れることができた。

 

神様は僕たちにさまざまな試練を与えるのです。

でもそれが逆に人生に良い結果をもたらすこともあるのです。

 

逆に何の試練もなくスイスイ人生を生きてきた人に限って手痛い目にあうもの。

そういうパターンが非常に多いのです。

 

僕は現在、サラリーマン生活から卒業し、自分で事業をやって生活しています。

おかげさまで会社の方は10年目を迎え、黒字の状態をキープしています。

 

でもそれは社会人になりたての頃、厳しい試練を与えられ、それを乗り越えたおかげだと思っています。

あれがあったから今がある、と・・

 

もしもあのとき社会から厳しい洗礼を受けずに、修行を積む機会を得なかったら間違いなく今のこの状況を手に入れることはできなかったでしょう。

だからあれは僕が次の段階(フェーズ)へ行くためにどうしても必要なことだったのです。

 

今、その社会の洗礼を受けてる真っ最中の新社会人のみなさんはどうか目の前にあることだけに囚われないでほしい。

世の中をもうちょっと違った角度から見る目を養ってほしい。

 

ただただ「ツライ・・」「苦しい・・」「もう仕事辞めたい・・」だけで終わらせないでほしい。

ぜひとも「これは通過儀礼なんだ」と自分に言い聞かせてみてください。

そうすればきっと少しは気持ちがラクになるはずです。

 

『可愛い子には旅をさせよ』とはよく言ったもの。

そのツライ経験はいつか必ず生きてきます。

そして、その試練から学んだことは一生の宝物となるでしょう。

 

逆に通過儀礼を経ないままスルスルと大人になってしまうことの方が怖い・・

その方がもっとツライ目に遭うはずです。

 

それは僕のように40歳半ばくらいになればよくわかります。

人間、ただ年齢を重ねればいいってわけじゃないのです。

年を取ればだんだんハッピーに近づいてゆくと思ったら大間違い。

 

僕の友人たちでも人生の前半部分は学校の成績も良く、ぞくにいう「いい大学」を卒業し、「いい会社」ってやつに就職したけど、その後トタンの苦しみを味わってる人が何人もいます。

みんな通過儀礼を経ないまま大人になってしまった人たちです。

 

まるで若い頃に厳しい試練に遭遇し、それを乗り越える経験をしてこなかったツケが今頃になってまわってきたかのようです。

彼らには共通点があります。

皆、どことなく似ている部分があります。

僕はそれは通過儀礼の問題と密接に関わっていると思っています。 

 

彼らはいわゆる、「お坊ちゃん」とか「エリート」と呼ばれる類の人たちでした。

決して悪い人間というわけではないのです。

どちらかといえばいい人たちです。

 

真面目だし、優しいし、気遣いもできる。

だけどその反面、どこか脆いところがある。

弱いところがある。

 

彼らはとても勉強ができました。

学生時代の彼らは輝いていました。

人気を博していました。

 

その勢いのまま、彼らはいい会社に就職しました。

ところが社会に出てから彼らはつまずきました。

学校時代は成績の良し悪しで輝き度が変わります。

しかし社会に出たら横一線からのスタート。

いったんチャラになるのです。

 

そこは学校時代の成績は関係ない世界です。

もしも学歴が高い順から幸せになってゆくのだとしたらこんなにカンタンなことはなかった。

もしも学歴が高い順からお金持ちになってゆくのだとしたらこんなにラクなことはなかった。

 

しかし社会というのはそういうふうにはなっていないのです。

 

ある者は短期間で会社を辞め、職を転々としました。

ある者は家にひきこもるようになりました。

ある者はうつ病になり、社会復帰できなくなりました。

 

彼らはどこでつまずいたのでしょう。

僕は思うのです。

彼らはきちんと通過儀礼を経てこなかったのではないだろうか、と。

そこを通過せずに大人になってしまったのではないだろうか、と。

 

だから試練というのは何も悪いことではないのです。

それは通過儀礼のようなものなのです。  

 


僕が「試練というのは悪いことばかりじゃない。それは通過儀礼だ」と考えてる理由