サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

アメリカ大統領選挙におけるバイデンとハリスを見て思った、誰もが正しいことしか言わないポリティカル・コレクトネスに対する違和感


アメリカ大統領選挙におけるバイデンとハリスを見て思った、誰もが正しいことしか言わないポリティカル・コレクトネスに対する違和感

 

 

 

最近、僕はすごく気になっていることがあります。

それは「誰もが正しいことしか言わなくなってきている」ということです。

 

「えっ、正しいことを言って何が悪いの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

でも過剰に「正しさ」ばかりを追求し、誰もが正しいことしか言おうとしない・やろうとしない社会というのはそれはそれで不自然であるような気がするのです。

それは、もしかしたらマッドマックスの世界のような「無法地帯」よりも恐ろしいディストピアかもしれない・・

 

「ポリティカル・コレクトネス」とか「コンプライアンス」という言葉が叫ばれるようになって、もう何年にもなります。

それ以来、すっかり息苦しい世の中になってしまったような気がします。 

 

僕が子どもだった頃はもうちょっとゆるい世の中だったような気がします。

もちろんそういった言葉が生まれた背景にはいろいろな事情があったことはわかっています。

ただあまりにも過剰に正義ばっかりを追求するような世の中に対して漠然とした違和感のようなもの感じるだけです。

 

たしかに僕が子どもの頃はコンプライアンスも何もなかったから、いささか「行き過ぎ」のところはあったと思います。

バラエティー番組にしろ、ドラマにしろ、今では考えられないような表現がたくさんありました。

テレビに出してはいけないような人も平気で出ていたし、言ってはいけない言葉も飛び交っていたような気がします。

 

しかしながら少なくとも今よりは圧倒的に自由だったし、何よりもエネルギーに満ちあふれていました。

そして、こちら側にもそういうアヴァンギャルド=前衛的なものを受け入れる『寛容さ』みたいなものがありました。

 

「なんでもアリ」とまでは言わないけれど、少なくとも今みたいにいろいろうるさくはなかった。

日本じゅうを覆い尽くしていた空気自体が今よりもはるかに自由でした。
 
は「正しさ」の方が優先されるような世の中になってしまいました。

そういったキュークツさは多くの人の精神にまで影響を及ぼすようになっているような気がします。

 

なぜこんなに多くの人が精神的な問題を抱えているのか。

なぜこんなにうつ病が多いのか。

自殺率が高いのか。

それらのことは社会に蔓延する閉塞感=息苦しさと無関係ではないと僕は思っています。

 

現代社会に生きる多くの人は「自分のやってることは正しいのだろうか」「自分の人生は間違ってはいないだろうか」ということを過剰に気にし過ぎているような気がします。 

正しいか・正しくないかがすべての判断基準になってしまった・・ 

正しいことをやろうとするあまり不幸になってしまう人が大勢いるような気がしています。

 

言うまでもないことだが、正しいことだけやっていれば幸せになれるというわけではないのです。

もちろんチャランポランでいいというつもりは毛頭ありません。

「バランスが大事だ」という話をしたいだけです。

今はちょっと生徒会的というか、学校の風紀委員的というか、そういうものの比重が高くなりすぎているような気がします。

 

もしも世間で「正しい」とされてることだけやり続け、世間で「間違ってる」ということをやらないようにするだけで幸せになれるというならこんなにラクなことはありませんでした。

でも人生というのはそんなふうになってはいないのです。

 

正しいことだけを追求する生き方のいちばんの問題は何かにチャレンジしてみようという意欲を削いでしまうことです。

日本は世界でいちばん起業する人の割合が少ない国として有名です。

それだけ何かにチャレンジしようという人が少ないということなのです。

その結果、何が起こったのか。

ついに日本に世界を席巻するような新しいグローバル企業のようなものが誕生しなかったのです。

 

 Amazon、アップル、Google、Facebook、ネットフリックス、Twitter、スターバックス、etc・・・

そういった世界的な新しい企業のほとんどがアメリカの企業です。

ユニクロや楽天も頑張ってはいるけど、Amazonやアップルの比ではないでしょう。

 

トランプはいろいろ問題のある人物だと思います。

でも少なくとも「ユニーク」な人物でした。

「おもしろい」人物でした。

「退屈」ではなかった。

 

狂人かもしれないけれど、自分で事業をやり、それを成功させたビジネスマンでもありました。

何よりもエネルギーに満ちあふれていました。

何回も事業に失敗し、何度も自己破産をし、何度も離婚を経験しました。

それでもプロの政治家でもなんでもないのにアメリカ大統領にまでのぼりつめました。

 

日本人はもともと『寄らば大樹の陰』と考える傾向があります。

何かに挑戦したり、未知の世界に飛び出していって勝負をしたりすることが苦手です。

 

でも幕末の志士たちはそうではありませんでした。

西郷隆盛にしろ、坂本龍馬にしろ、桂小五郎にしろ、みんなチャレンジャーでした。

 

また戦後の焼け野原から復興する立役者となった日本企業の創業者たちもチャレンジャーでした。

トヨタ、ホンダ、ソニー、パナソニック、任天堂、ブリヂストン、日清、etc・・

松下幸之助さんにしろ、本田宗一郎さんにしろ、みんな何もないところからスタートし、世界に飛び出していきました。

 

真面目に

きちんと

ちゃんと

勤勉に

まっとうに

それもいいかもしれません。

その結果、クソつまらない人間に成り下がり、クソつまらない人生を生きることになってもいいのでしょうか。

 

「結局、自分の人生には何もなかった」

「結局、自分は何も挑戦しなかった」

「結局、ただただ真面目に生きてきただけだった」

そのような想いを抱えたまま死の床に着く・・・・果たしてそれで本当にいいのでしょうか。

 

正しさを追求するのも大いに結構だけど、もっと他に追求した方がいいものがあるのではないでしょうか。

 

森毅さんはこんな言葉を残しています。

 

サボりをまったく許さないクラスというのは、むしろこわい。

たまにサボる人間が少しだけいるほうが、たぶんよいクラスができる。

 

 


アメリカ大統領選挙におけるバイデンとハリスを見て思った、誰もが正しいことしか言わないポリティカル・コレクトネスに対する違和感