サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

僕が「既存のレールから外れても全然大丈夫」と思うにいたった理由について。

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僕が「既存のレールから外れても全然大丈夫」と思うにいたった理由について。

 

サラリーマンをしていた頃の僕は本当に狭い視野でしかこの世界を見ていませんでした。

ある決まりきったレールの上をただ歩いているだけの人生。

そして、そのレールから外れないように、はみ出さないように、飛び出さないように・・・

そんなことばかり気にして生きていた。

 

当時の僕にとって「会社を辞める」とか「起業する」とか「投資をする」といったことは完全に自分の想像の枠を超えた世界の話でした。

でもよく考えてみたらそのレールから外れたってずぅーっと地面が続いているだけ。

その広い大地を自由に駆けまわって、どこに行ったっていいはずなのに。

 

そのことに気づいた僕はそれまでの生き方から180度違う生き方を模索するようになりました。

そのおかげで僕は2010年12月に脱サラ起業し、自由の身になることができました。

 

レールから実際に降りてみて痛感したのは「レールから降りても全然大丈夫だ」ということでした。

だいたいにしてそのレールだってどこかの誰かが作ったもの。

それに従わなきゃいけないなんて決まりはどこにもなかったのです。

 

真面目、立派、頼りになる、大人、責任感が強い・・・そういう人はレールの上を歩いていけばいい。

でも僕はそういう路線は歩みたくなかったのです。

途中までその路線でやってみたけどやっぱりどうもそういう生き方は性に合わなかった。

 

僕の場合はそのレールを降りて自由気ままに生きる方が性に合っていたのです。

そういう路線の方が単純に幸せだったのです。

 

自由、わがまま、自分勝手、無責任、頼りにならない____レールから外れた人はいつもレールに乗ってる人からそんな風に見られたりします。

たしかにまわりの期待に応えていろいろ頑張っちゃう人生もいいかもしれない。

そこに自分のアイデンティティを求める生き方も悪くはない。

でも僕はそういうことができないタイプの人間でした。

 

僕は完全にまわりのことよりも「自分のこと」を優先するタイプの人間だったのでしょう。

こういうタイプの人間はサラリーマンには向いていません。

組織の中では生きられません。

 

でも自分のことを優先するからといってそれがイコール『真面目じゃない』ということになるのでしょうか。

それは違うような気がします。

 

いろいろ頑張っちゃう人もそのやってることに心の底から納得していたり、楽しんで取り組んでいるのならそれはそれでいいでしょう。

だけど、もしも自分に嘘をついているのだとしたら。

本当はやりたくないことなんだけど本当の心を押し殺してやっているのんだとしたら。

 

それは本当の真面目さとは違うのではないでしょうか。

そして、結構そうやって生きてる人って多いような気がします。

 

 

「真面目」という言葉は、真正面から面(つら)を見ると書きます。

鏡に映った、嘘偽りない自分。

心の中の本心(ほんしん)。

そういったものと真正面と向き合うことができる人が本当の意味で真面目な人なんだと僕は思っています。

 

人からの評価や、人からどう思われるかなんかは一切関係ない。

大切なことは自分の気持ち。

ハート。

自分の心に正直に生きることがいちばん重要なことなのではないでしょうか。

 

まわりの期待に応えてストレスをいっぱい抱え込み、いつも不機嫌なまま生きるのは僕は嫌でした。

それだったらまわりからどんなに「変わり者扱い」されたとしても自分に正直に、いつも機嫌よく生きてたいと僕は心の底から思ったのです。

 

40数年間生きてきていろんな人を見てきました。

そして、はっきりわかったことがあります。

それは『幸せというのは幸せなオーラを出してる人が好きだ』ということです。

 

逆に、幸せというのはネガティブなオーラが大嫌いです。

不機嫌、暗い、怒り、ため息、悪口、絶望、愚痴、etc・・・

 

だから人生がうまくいかない人というのはたいがい暗い顔をしています。

暗い顔して、ため息をつき、いつも愚痴や悪口なんかを言っています。

僕はたくさんそういう人たちを見てきました。

そして、そういう人たちを『反面教師』にして彼らからいろんなことを学んできたのです。

 

自分の心に正直に生きると自然と笑顔がこぼれてきます。

誰だって自分の好きなことをやってる時というのは気分がいいものですよね。

 

ビートルズが好きな人はビートルズの音楽を聴くとハッピーな気分になれるでしょう。

それなのに本当は好きでも何でもないのに無理してクラシックを聴いていてもちっともハッピーにはなれないはず。

 

ビートルズが好きなら、「ビートルズが好き!」とはっきり言いましょう。

そして、まわりの期待に応えて本当は聴きたくもないクラシックを聴いて自分の本当の心を押し殺し、ストレスをいっぱいため込むような生き方はやめましょう。

それはいずれまわりにも迷惑をかけることになる。

 

いいオーラを出してる人というのは必ず人にもいい印象を与えるもの。

いつもハッピーな気持ちでいる人はまわりにいる人もハッピーな気分にさせるもの。

「レールの上を歩いている」という安心感と引き換えに本当の自分の人生を差し出す必要はないのです。

 

猫を見て欲しい。

彼らの世界には「学歴」も「資格」も「肩書き」も「出世」も「年収」も何もありません。

うちの家にいる猫は特にこれといった芸をするわけでもありません。

それなのに家族全員から愛されていますよ。

それは彼が自由気ままに自分のやりたいように生きているからです。 

 

そのまんまでも、十分可愛いし、十分素敵なのです。

みなさんも猫のように自由気ままに生きてみてほしい。

その方がきっといろんな人から愛されると思いますよ。 

 

僕は子どもの頃から『集団行動』が大の苦手でした。

「一致団結して何かに取り組もう」という類のものがとにかく嫌で、球技大会も合唱コンクールも運動会もあまりいい思い出はありません。

 

僕は集団のなかにいるよりも家で一人でのんびり音楽を聴いたり、本を読んだりするのが好きなタイプでした。

そういう「ひとりきりの時間」というものは僕にとってかけがえのない大切な時間でした。

 

おそらくそういう僕の気質がその後の僕の人生の選択に影響を及ぼしているのだと思います。

社会人になった僕はやがてサラリーマンの世界にも限界を感じるようになりました。

そしてついにサラリーマンの世界からドロップアウトする道を選びました。

37歳のときでした。

 

それから今日にいたるまで、僕はずっと商売人として、事業家として、経営者として、投資家として生きてきました。

社員も雇わずずっと一人でやってきました。

税金対策のために家族にも役員報酬を払っていますが、今後も家族以外の従業員を雇うつもりはありません。

 

僕はひとりが好きなのかもしれません。

孤独が好きなのかもしれません。

 

もちろん僕には家族がいますから厳密に言えば孤独ではありません。

でも家族と一緒に暮らしていてもその生活の中のどこかに、「一人でいる時間」というものを設けるようにしています。

それは今もむかしも僕にとってとても大切な時間なのです。

 

ご存じのとおり、サラリーマンの世界というのは個人というものを捨てなければいけない世界です。

あそこに属しながら「一人きりの時間を大切にしたい」なんていくら切望したところでそれは不可能なことです。

 

あそこは「組織」を大切にする場所です。

「集団」を大切にする世界です。

そして、その組織や集団を維持してゆくためには「個」は捨てなければいけない世界です。

 

それは僕のようなタイプの人間がとてもい続けられる世界ではありませんでした。

そこに、僕の居場所はありませんでした。

 

『年功序列、終身雇用という日本独特の雇用制度が終焉を迎え、社員と会社を取り巻く状況も様変わりした』と世間ではよく言われています。

『社員と会社の関係ももう以前のようなものではなくなり、もっとドライで、ビジネスライクな関係になってきている』とよく言われています。

 

本当にそうかなと僕は思います。

僕の目には以前として『強固な日本的サラリーマン・システム』が機能しているように見えます。

相変わらず多くの人はそのシステムの中で働きつづけ、誰もそこから抜け出そうとはしていないように見えます。

 

会社のために身も心も捧げる「会社人間」たちはまだまだたくさんいます。

むしろ以前よりも増えているのではないかという気さえします

そして、そういう人たちが集団を形成し、その同調圧力は弱まるどこかますます強まっているような気さえしています。

 

「集団」や「組織」の恐ろしいところは徹底的に『個』をつぶそうとするところです。

会社、学校、その他の人間関係においても、etc・・・・

そうした『個』をつぶそうという動きは世の中のいたるところで見受けれられる現象です。

そこでは多数決でなんでも決まってしまい、少数意見は完全に無視されます。

 

みんなと同調しない者は「変わり者」とされ、選択肢はますます少なくなっていきます。

ちょっとでも多数の意見と違うことを言おうものならみんなで寄ってたかってその違う意見を言った人間をつぶそうとします。

 

「多様性ダイバーシティなんてどこの世界の話?」ってなカンジです。

僕の目には多くの人びとがどんどん「ひとつのもの」に向かって突き進んでいるように見えます。

 

赤信号、みんなで渡れば怖くない

向こう三軒両隣

出る杭は打たれる

 

特に日本人はそのように考えやすい国民です。

今の日本は僕みたいな人間にとって非常に生きにくい社会になっています。

 

現在の日本を取り巻いている空気ははっきり言って僕のようなタイプの人間にとってあまり好ましい空気ではありません。

これは僕が最も嫌う空気なのです。

 

僕のこれまでの人生はそんな空気との格闘以外の何ものでもありませんでした。

僕は『自由』というものを何よりも愛している人間です。

だから自由を侵害されることに対してものすごい嫌悪感を抱いてしまうのです。

 

だけど僕の最も大切にしている『自由』という概念をそれほど大切なことだと思ってない人たちもいます。

それはかなりの数います。

僕はそういう人たちの醸し出す空気と闘ってきましたし、これからも闘ってゆくことになるのだと思います。

 

若い人にはピンとこないかもしれませんが、社会人になれば、学生の頃のようなわがままは通用しなくなります。

自由はグッと制限されるようになります。

自分の時間のほとんどは会社に捧げなければならなくなります。

 

その対価として会社は「給料」というクスリをこちらに処方されます。

そのクスリは依存性があります。

ずっと口に含んでいたら、その依存を断ち切ることは極めて困難になっていきます。

そうやって、社会は僕たちを飼い慣らしてゆくのです。

 

「それが大人になるってことだよ。」と彼らは言います。

でも僕が考える「大人」とは、そういうものではありません。

それは彼らが勝手に考えている大人像であり、僕にとっての大人像ではありません。

 

僕が考える大人とは次の2つ。

  1. 自分で考えて、自分で行動する
  2. そのことによる責任は自分でとる

 


世の中にはいろいろな大人がいていいはずなのです。

すべての大人が同じ価値観で生きる必要なんてないはずなのです。

僕みたいにいくつになっても自由を追いかけ続ける大人がいてもいいのではないでしょうか。

 

そして「世の中にはいろんな大人がいるんだよ」ということを若い人たちに知ってもらうことはとても重要なことだと思います。

一つの価値観、一つの選択肢だけじゃ息が詰まってしまいます。

いろんな価値観、いろんな選択肢を提示することこそが未来の希望につながってゆくと僕は確信しています。

でも世の中的には全然そういう方向にはなっていません。

僕はそうした世の中の空気をとても心配しています。

 

高校生のなりたい職業はダントツで「公務員」だそうです。

「だから何だ?」と言われればそれまでですが、このアンケート結果が今のこの国の閉そく感を如実に物語っているような気がします。 

  

 

みんなと同じであれば安心

みんなと違えば不安

 

 

今、多くの人が生きづらさを感じてる背景には日本的な『同調圧力』が影響していると僕は思っています。

社会全体がすごく『キュークツ』になってきてるように感じるのです。

むしろ今は「自由というものは良くないものだ」と捉えているフシさえあります。

 

企業が求めている人材というのは従順で、そつなく、優秀で、真面目であること。

言われたことをただ黙って(そして、正確に)やるような人材であること。

そういった価値観がまわりまわってこの日本社会全体を覆っている『閉塞感』のようなものを生み出していると僕は思っています。

 

そこには『自由な発想』といったようなものは何もありません。

下手したら自由な発想で何かを言おうものなら、「生意気だ」とか「協調性がない」なんて言われかねません。

日本はかなり危ういところまで来てると僕は思っています。

 

じゃあ、せめて子供たちだけでも自由にさせているのかと思って教育現場を見てみると、大人たちは大人たちは子供たちも「失敗をするな」「レールからはみ出すな」と教えています。

 

小学生が夜10時まで塾で勉強しているのです。

そして、「いい大学に入って、いい会社に就職しろ」と強要されています。

子供たちはそのプレッシャーに苦しんでいます。

 

子供時代のいいところって「自由がある」ということなのではないでしょうか。

友達を公園で遊んで、喧嘩して、転んで、怪我して、泥だらけになって、etc・・・

 

そうやって知らず知らずのうちに『生きる』ということを学んでゆく。

その学びは塾で学ぶことよりもはるかに重要なことだし、社会に出てから役に立つことだと僕は思っています。

 

小さい頃から塾通いをし、ひとつの価値観を植えつけられると、『ここからこぼれ落ちると居場所はなくなってしまう』という恐怖心に支配されるようになります。

凝り固まった視野の狭い人間になっていきます。

 

そうすると最終的にはポジション取りのことしか考えない『コスパ人間』ばかりが大量に排出されることになります。

だからまわりを見渡してください。

おもしろくない人間ばかりじゃありませんか?

 

そして、目に見えない集団を形成している。

その集団心理の中でがんじがらめになっている。

みんなそこからこぼれ落ちまいと必死です。

 

でも人間はそんなに強くありません。

頑張っても頑張ってもこぼれ落ちてしまうこともあります。

そして、日本社会ではこぼれ落ちたら最後、もうそこから這い上がれないような社会になっている。

敗者復活ができないのです。

 

なぜこんなにひきこもりになる人が多いのか。

なぜこんなにうつ病になる人が多いのか。

なぜこんな自殺する人が多いのか。

 

僕にはなんとなくわかります。

僕は37歳で脱サラ起業しました。

アウトサイダーになってつくづく思うのは、「本当にこの国は息苦しい・・」ということです。

 

異質なもの

自分たちはとは違うもの

みんなと同じ行動をしないもの

etc・・・

 

そういうものをこの社会は許さないところがあります。

その閉塞感が日本全体を覆っています。

 

せめて若者だけは未来を見据えているのかなって思ったけど、高校生のなりたい職業の第1位が“公務員”という話を聞いて、「あっ、こりゃダメだ・・」と思いました。

 

なーんにもしないまま、なーんにもできないまま「気がつけば人生が終わってた・・・」なんてことにもなりかねません。

 

 小学校の「おやじの会」に行っても、親戚に会っても、同級生に会ってもどこに行っても僕は浮いてしまいます。

そこで必ず質問される「何をやってるんですか?」っていう質問に対して僕は一生懸命、自分がどうやってメシを食っているのかについて答えます。

 

でもほとんどの人がチンプンカンプンです。

それは僕がレールから外れた生き方をしているからです。

僕がアウトサイダーだからです。

理解できないのです。

 

でも僕は今、とても自由だし、幸せだし、サラリーマンの頃よりは豊かです。

そんなに大金持ちじゃないけれど、家族4人を養うくらいのおカネは得ています。

でも僕のやってることを理解してくれる人は非常に少ないのです。。

 

 

 


僕が「既存のレールから外れても全然大丈夫」と思うにいたった理由について。