サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

会社に雇われて給料をもらう人生と自分で稼いで生きる人生の違いについて。

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自由な時間。

これは誰しもが「手に入れたい」と望んでいるものです。

しかし、これを実際に手に入れるのは至難のわざでもあります。

 

「お金さえあれば自由が手に入る」と思っている人が大勢いますが、それは間違いです。

どんなに高収入を得たとしてもそのことによって自由が手に入るわけではありません。

なぜなら高収入を得るためには死ぬほど働く必要があるからです。

 

労働時間が長くなれば長くなるほど自由な時間は削られていきます。

逆に労働時間を短くし、自由な時間を確保しようとすればするほど得られる収入は減っていきます。

 

会社を辞めればその瞬間に自由な時間は手に入りますが、もしも貯金が底を尽きたら、生活費を稼ぐためにまた働きに出なければなりません。

これでは「自由な時間を手に入れた」とはとても言えません。

本当に自由な時間がほしいならば、『働かなくても生活していけるだけの経済力』を身につける必要があります。

 

でもそれはそう簡単なことではありません。

「働くこと」と、「収入」は比例しているものだからです。

 

それなのに、「働かないこと」と、「収入」を比例させるなんて・・

そんなことって、現実的にできるのでしょうか?

 

僕は基本的にはのんびり屋です。

人と何かを競い合うことは学生の頃から大の苦手でした。

僕は間違いなく「モラトリアム気質」だと思います。

 

そんな僕でも「やっぱり何かを得るためにはそれなりの努力というものが必要だ」と思っています。

さすがの僕でも何の努力もなしに何かを達成できるとは思っていません。

僕もそれなりに世間の荒波にもまれてきましたから、「世の中はそんなに甘くない」ということは百も承知です。

 

ましてや自由な時間などという贅沢品を手に入れようとするからにはそれ相当の努力をしなければ手に入れることはできないということもよくわかっています。

自由な時間は多くの人が欲してはいるものの実際に手に入れる人は極端に少ないものなのです。

 

どんなに高い年収を得たとしても自由な時間は手に入りません。

いや、それどころか年収が高くなればなるほど仕事が忙しくなり、自由な時間はどんどん少なくなっていきます。

 

反対に自由な時間だけを追い求める生き方もなかなかしんどいものです。

この世は資本主義ですから生活していけるだけのお金を稼がなければ生きてゆくことはできません。

だから自由な時間というのはとんでもない贅沢品なのです。

それはポルシェやタワマンを手に入れることよりもむずかしいことなのかもしれません。

 

誰だって自由な時間を手に入れたいと思っています。

確かに定年退職して年金暮らしになれば自由な時間は手に入るかもしれません。

しかし、人生の終わり間際になってから自由な時間を手に入れたとしてもそれはそれで空しいでしょう。

できることならばまだ若くエネルギーに満ちあふれている年齢のうちから自由な時間を確保したいものです。

 

また最近は受けとる年金額の減少により、年金だけでは生活できなくなってきました。

こうして考えてみると「自由な時間を手に入れ、なおかつ幸せに暮らす」という望みを叶えるのは非常にむずかしいことがわかります。

 

だけど僕は今、それを手にしています。

夢を達成したのです。

悪戦苦闘のすえに僕は「不動産投資」というものを発見し、それを実践したおかげで『自由』と『幸せ』の両方を手に入れることに成功しました。

 

汗水たらして真面目に働く=幸福?

僕の父は古いタイプの人間でした。

良く言えば真面目、悪く言えばお堅い考え方をする人間でした。

僕は典型的な自由主義的な考え方をするタイプ。

だから父とは昔からうまが合いませんでした。

 

僕と父は『労働観』についてもまったく意見がかみ合いませんでした。

父は汗水たらして真面目に働くことが良い生き方だという信念を持っていました。

でも僕はその考えには賛同できませんでした。

 

それは父が生きた時代には通用した生き方でした。

父は団塊の世代です。

団塊の世代は「もっとも幸福な時代を生きた、もっとも幸福な世代」と言われています。

そういう幸福な時代を生きた父の世代は汗水垂らして真面目に働くことで幸福は手に入ったかもしれません。

 

しかし、今は違うのです。

どんなに汗水垂らして真面目に働いたとしてもそれで幸福が手に入るわけではないのです。

それどころか何も考えずにただ真面目に働いているだけではどんどん不幸になってゆく恐れすらあります。

 

現在の会社は父が現役だった頃の会社とは違うのです。

現在の会社は従業員のことを「使い捨てライター」のように扱うようになっています。

これは父が生きた時代とは大きく異なるところです。

僕たちは知恵を振り絞って生きていかなければなりません。

それはとてもめんどくさいことです。

 

人間だれしも、できることならば何も考えずに生きていたいと思うものです。

わざわざ何かを考えなきゃいけないなんて疲れる生き方です。

だけど、きちんと物事を考えなければ時代に翻弄され、企業に利用されるだけです。

そして、用済みになれば簡単に使い捨てられるだけです。

 

僕は20代の終わりごろにそのことに気づきました。

だから必死になって自分を守る術を身につけようとしたのです。

このまま会社にしがみついてサラリーマンを続けてゆく生き方がとても危うい生き方のように思えたのです。 

 

父はそんな僕の考え方が理解できませんでした。

父は会社にしがみつく生き方の方が安全な生き方のように思えたのでしょう。

それは父が生きた時代にとっての安全な生き方であって僕が生きる時代にとっては全然安全な生き方ではありませんでした。

 

その後、僕は紆余曲折の末に『不動産投資』というものと出会い、自由と幸せを手に入れることができました。

そのおかげで僕は会社を辞めることができました。

今ではほそぼそながらも会社を経営するまでになりました。

 

それでも父は今でも僕の生き方に疑問を持っています。

僕が選んだ選択に納得していません。

この溝は、おそらく一生埋まることはないでしょう。

父が僕のことを認めてくれる日は永遠に来ないかもしれません。

 

でも、僕はそれでもいいと思っています。

大切なことは父に認められるかどうかではありません。

僕が今、自由で幸せな毎日をおくれているかどうかなのです。

 

「汗水垂らして真面目に働くことこそが正しい生き方だ」という考え方はいまだに根強く残っています。

自由に生きている人間は常にその同調圧力と闘っています。

この闘いはおそらく死ぬまで続くことだと思います。

 

僕は決して「不真面目に生きろ」ということを言いたいわけではありません。

だだ時代はもう変わったんだということを申し上げたいだけなのです。

 

お金に色はついてない 

「不動産投資をやっています」と言うといまだに怪訝な顔をされることがあります。

どうも日本人は「投資」というものをマイナスのイメージで受け取る傾向があります。

それが日本人のいいところだという意見もあります。

 

たしかに勤勉さは日本人のいいところです。

その勤勉さがあったおかげで日本はこれだけの経済発展を遂げることができたわけです。

しかし、いつの頃からかその勤勉さだけではうまくいかなくなってきました。

 

文句ひとつ言わず、汗水垂らして真面目に働く・・・それだけで出世することができた幸福な時代はもう終わってしまいまいました。

もちろんそのことを僕は良しとしているわけではありません。

僕もかつては朝から晩まで働くサラリーマンをしていましたから、「労働の尊さ」といったようなものはわかります。

でも時代が変わってしまった以上、その変化に対応していかなければなりません。

 

 

進化論を説いたチャールズ・ダーウィンは『唯一生き残るのは変化できる者である』と言いました。

これは何も動物だけに限った話ではないでしょう。

人間社会にも当てはまります。

 

もうとっくに時代は変わってしまっているのにそれに対応できないでいることは危険なことです。

時代の変化を嘆いたり、過去のノスタルジーに浸っていてはちっとも前には進めません。

 

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

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僕はサラリーマンからドロップ・アウトする道を選びました。

そして投資・ビジネスの世界でメシを喰っていく覚悟を決めました。

それはとても勇気のいる決断でした。

 

いまだに「汗水たらして働くことが絶対である」という価値観が支配的なこの国で僕の選んだ選択はその価値観とは正反対のものでした。

だけど僕の決断は間違っていませんでした。

僕はその決断をしたおかげで自由を手に入れました。

幸せを手に入れました。

 

僕はただ変化に対応しただけなのです。

時代が変わろうとしていることを肌で感じ、「いかに生き残ることができるか?」を真剣に考えただけのことに過ぎないのです。

 

汗水垂らして働いて得たお金も、投資やビジネスで得たお金もどちらも同じお金はお金です。

投資で得たお金というのは何も悪いことをして得たお金ではないのです。

それなのに、「投資で得たお金」というと何か汚いお金であるかのような言い方をされることがあります。

とくに日本ではそのように受け取られることが多い。

 

僕は根本的にそれは間違っていると思います。

そういう考えをすること自体が時代の変化に対応できていない何よりの証拠だと僕は思っています。

 

投資はギャンブルではありません。

それが不動産投資であれ、株式投資であれ。

投資でそれなりのお金を得るためにはいろいろ学ばなきゃいけないこともたくさんあります。

世の中のことも知らなきゃいけないし、トレンドも読まなきゃいけません。

肉体的にも精神的にも、健康じゃなきゃいけません。

頭も冴えていなければ手痛い失敗をすることにないます。

 

だから、「何も考えなくてもラクラクお金が儲かる」なんてことは投資の世界にはないのです。

そして、もしもそのようなことを言っている投資家の人がいたらその人はきっとそのうち痛い目に遭うと思います。

 

投資はそんなに甘いものではありません。

少なくとも何も考えずにラクラクお金が儲かるようなものではありません。

 

「雇われの身」とは?

投資をしてお金を得るということと働いてお金を得るということは全然違います。

どちらにもメリットがあり、デメリットがあります。

これは好みの問題です。

 

どちらが「いい」とか、「悪い」とかではありません。

どちらが「正しい」とか、「間違っている」とかの話でもありません。

 

僕は投資というものが肌に合っていました。

20代、30代にかけて死ぬほど働いてきましたが、そこで得られる幸せよりも今、投資をすることによって得られる幸せの方がはるかに大きいのです。

働くということは従業員でい続けるということを意味しています。

どんなに出世して、肩書きが「課長」になり、「部長」になったとしても雇われの身であることには変わりありません。

 

雇われの身である以上、どんなに頑張って働いたとしても結局いちばんトクをするのは雇う側の人間です。

「雇われている」という枠から飛び出さないかぎり、本当の意味でおいしい想いをすることはできないのです。

 

ある日、僕は「このまま頑張って働きつづけていても結局、誰かを肥えさせるだけだ…」ということに気づきました。

だから僕は必死になって考えたのです。

雇われずに生きる方法というやつを・・

 

そして、たまたま僕の場合、「不動産投資」というものと出合ったのです。

だから、みなさんが今、「働く」ということに疑問を持っているのだとしたらどうかそのことを悪く受けとらないでほしいのです。

 

働かなくても生きる術はあるのです。

それを可能にするのは、『投資』なのです。