サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

学校時代の成績と幸福な人生を生きることとのあいだに相関はないという話

f:id:orange345:20200628093334p:plain

 

 

www.youtube.com

 

僕には二人の子どもがいますが、「いったいどんな教育を子どもたちにしてあげたらいいんだろうか」と日夜考えながら日々を送っています。

きっと僕みたいに考えているお父さんお母さんは意外に多いのではないでしょうか?

 

テレビなどでは「〇〇大学を卒業した」とか「偏差値が〇〇だった」といった人がたくさん出てきて、チヤホヤされています。

でも本当に勉強ができることがいい人生・幸せな人生と直結しているのでしょうか。

 

もし本当にそうだとするのなら勉強ができて、いい大学を卒業した人はみんないい人生を送り、幸せになっていなきゃいけないはず。

しかもその成績上位者の上から順にいい人生を送り、幸せになってなきゃおかしい。

 

でもどうでしょうか。

本当にそうなっているでしょうか。

違いますよね。

 

勉強ができる人でもうまくいってる人もいればうまくいってない人もいる。

うまくいってる人は必ずしも「勉強ができたから」「勉強をがんばったから」うまくいったわけではないはずなのです。

 

でも、ついつい人間は錯覚してしまうのです。

僕は変わった人生を歩む変わり者です。

だから僕のやり方が万人にも当てはまるとは思っていません。

 

しかし僕の話を聞いて、「勉強ができなくてもダメじゃないんだ…」と思ってくれる人が一人でもいてくれたら、僕としては嬉しい。

 

僕は最近『子供たちにとって本当に良い教育って何なんだろう』ということを考えます。

僕には2人の子どもがいます。

今はまだ小学生なのであまりむずかしいことはわからないかもしれない。

 

だけどやがて彼らも『社会』に出ていかなければなりません。

そして言うまでもないことですが、学校で過ごす時間よりも社会で過ごす時間の方が圧倒的に長いのです。

 

だとするならば僕たちは本当は彼らに「社会人になって役に立つこと」を教えてあげなければならないはず。

しかしうちの子どもたちを見ていても相変わらずそこで行われていることはいわゆる勉強であり、その勉強によって優劣をつけようとする昔ながらの教育。

それはもうとっくに時代遅れのやり方であるはずなのに未だにその旧態依然とした教育を子どもたちに僕たちはしているのです。

 

これからAI(人工知能)やロボット、あるいはインターネットをはじめとするIT技術はますます発展してゆくはずです。

それらの新しい技術によって世界は大きく変わろうとしています。

きっと仕事のあり方もこれまでのものとはだいぶ違ったものになるでしょう。

 

いわゆる雇用も、僕たちの考えるこれまでの雇用とはまったく違った意味合いのものになるはずです。

要するに社会はどんどん変わっていっているのです。

それなのに教育の現場だけはなぜか昔のままのやり方が採用されている。

 

そのやり方が功を奏するならいいでしょう。

それで子どもたちがハッピーな社会人になってハッピーな人生をおくれるならそれを続ければいい。

しかし僕はそこの部分に関してはあまり楽観視していません。

 

今の学校現場で行われている教育を受けた子どもたちが社会に出てハッピーな人生を送れるとは到底思えないのです。

なぜ僕はそう思うか? 

それはもう火を見るように明らかです。

うちの子どもたちを見ているだけですぐにわかります。

 

いわゆる『学力についてのお勉強』ばかりさせているからです。

それが最大の問題なのです。

 

勉強ができる=社会が活躍するじゃない

勉強を頑張って優秀な大学を卒業することはとても立派なことだと思います。

そうやって努力して一つのことを突き詰めてやり、何かを達成する(大学に合格する)経験を積むことは大きな自信につながるはずです。

 

そういう経験はきっと社会に出ても役に立つはずです。

僕は否定はしません。

しかしここで僕が主張したいのは「勉強だけがすべてじゃない」と言うことです。

 

富士山の頂上に行くためのルートは1つだけじゃないはずです。

きっとたくさんあるはずなんです。

ところが勉強ができていい会社に就職したような人は「自分たちが歩んできたルートこそが正しいんだ」と思い込んでしまっています。

そしてそういう考え方をした人が結構な割合でいるのです。

 

僕はその考えを否定しません。

それも一つのやり方です。

でも、道はそれだけじゃないはずです。

別のルートもある。

 

必ずしも「勉強ができる=社会が活躍する」というわけじゃない。

もしかしたら勉強ができてなおかつ社会で活躍できる人はほんの一握りかもしれない。

その割合は勉強ができなくても社会で活躍している人と同じ割合かもしれないのです。

 

また勉強のできる人たちのほとんどは公務員になったり、大企業に勤めたりします。

そうすると自分のまわりにはやはり自分と同じように勉強を頑張っていい大学に入ったような人たちがいる。

だからついつい『勉強ができることこそが正しいんだ』と思い込んでしまう。

 

だけどそれはもしかしたらすごくすごく狭い世界の話かもしれないのです。

小さな箱の中だけの話を「世界はこうなってるんだ」と錯覚しているだけかもしれないのです。

 

もう少し大きな視点で世の中を見渡してみたら「必ずしも勉強ができる人が社会に出てから活躍してるわけじゃない」ということが見えてくるはずです。

また「必ずしも勉強ができなかった人が社会に出てから活躍してないわけじゃない」ということも見えてくるはずです。

 

ただ少なくとも言えることは今、子どもたちが受けている教育は『昔と同じやり方である』ということだけは確かです。

それは富士山の頂上を目指すルートのうちいちばんオーソドックスでいちばんわかりやすいルートであるだけです。

 

そのルート以外にもまだまだいっぱいルートはあるし、必ずしもそのルートが絶対的に正しいわけじゃないのです。

そのことを子どもたちに教えてあげられてないことが僕はいちばんの問題だと思っています。

 

「まだ他にも道はあるんだよ」

「まだオルタナティブはあるぞ」

 

そう子どもたちに教えてあげられてない現状が僕はいちばん問題だと思っています。

 

僕は不動産投資をやってそこから得られる家賃収入で生活しています。

おかげさまで事業は順調で法人化もしました。

 

しかしたまたま僕は「そういう選択肢もある」ということを発見することができましたが、もしかしたら発見できないまま今日にいたっていたかもしれないのです。

そう考えるとちょっとゾッとします。

 

僕も子どもの頃から「一生懸命勉強して、いい大学に行って、いい会社に就職しろ」とまわりの大人たちに教えられて育ちました。

社会に出て働くようになってからもその子どもの頃に植えつけられた価値観にずっと縛られていました。

その考えを支持している人は圧倒的に多かったし、その価値観に疑問を挟む余地はありませんでした。

 

つまり僕は一歩間違ったらずっと会社から雇われ、サラリーだけをもらうだけの人生を歩んでいたかもしれないのです。

30代半ばになるまで僕は「他にも方法がある」ということを知りませんでした。

いや、漠然とはわかっていましたが、「とてもじゃないけど、それは非現実的な生き方だ」と思っていました。

 

ところが、それは大きな勘違いだったのです。

それは非現実的でもなんでもなくその気になって手を伸ばしさえすればカンタンに手に入るようなものだったのです。

 

この自分の経験があるから僕は人一倍『子供たちから選択肢を奪ってはいけない』と考えるようになったのです。

選ぶのは自由です。

僕の選んだような道を選ぶもよし、サラリーマンとして生きる道を選んでもよしです。

 

ただ「これしかないんだよ」と子どもたちに教えることだけは避けたい。

それは子どもたちの可能性を奪う行為です。

 

レールから外れる=人生終了ではない

僕が子どもの頃より今の子どもたちの方が選択肢が増えていると思います。

いろいろ言われてはいますが、「ユー・チューバー」のような職業がこの世に存在するなんて僕が子どもの頃には考えられないことだった。

 

大学を卒業して社会に出たらスーツを着て、髪を切って、真面目に働き、結婚し、子どもを作り、家を建て、車を買い、60歳ごろに定年退職してその後は年金で生活してゆく・・・

僕は団塊ジュニアの世代ですけど、ずっとそういうライフ・プランを思い描いていました。

まさか自分がアパートの大家さんになってそこから得られる家賃収入だけで生活してゆくことになるなんて夢にも思っていませんでした。

 

選択肢が多いということは素晴らしいことです。

それは子どもたちに夢を与えることになります。

「あっちがダメだったらこっち」「こっちがダメだったらあっち」といった具合にいろいろとオルタナティブがある状態というのは非常に健全なことだと思います。

 

よく考えてみたら僕が子どもの頃にまわりの大人たちが言っていたことの方が異常なのです。

『これしかない!』という考えは原理主義につながります。

そして歴史を紐解いてみてもわかる通り、原理主義は必ず悲劇をもたらします。

 

日本では今、うつになる人や自殺する人が多いことが問題視されています。

こんなに豊かでこんなにインフラが整備され、こんなに治安がいい国でどうしてこんなにうつになったり、自殺したりする人が多いのか? 

 

僕はこの背景に『これしかない』という原理主義が存在すると思っています。

その原理主義が多くの人を傷つけているのです。

僕たちが子どもたちに教えてあげなければいけないのはその原理主義ではありません。

「もっと他にもいろいろあるんだよ」という多様性の方です。

 

子どもたちから選択肢を奪ってはいけません。

選択肢がないと人は必ず不安になります。

レールから外れてしまうこと=人生終了ではないのです。

そのことを子どもたちに教えてあげることこそが今もっとも必要な『教育』だと僕は思っています。

 

僕は今の子どもたちにはもっとお金のことについてしっかりと教えてあげた方がいいと思っています。

今の子どもたちはあまりにもお金に関して無防備すぎます。

僕はそれがとても心配です。

でもそれは僕たち大人が悪いのです。

 

僕たち大人がきちんと子どもたちに「お金のこと」を教えてあげていないせいなのです。

 

学校を卒業したあとはなるべくいい会社に就職してそのあとは65歳の定年を迎えるまで真面目に一生懸命働く

 

突き詰めて言えば僕たち大人は子どもたちにこのことしか教えてあげていません。

これではきっと子どもたちが苦しむことになります。

 

僕は37歳の時にサラリーマンの世界からドロップアウトしました。

アウトサイダーとして生きることはとても孤独に感じましたが、そのドロップアウトは僕に最高の自由と幸せをもたらしてくれました。

 

僕のやった行動ははっきり言って今の学校教育の現場では『非常識』と言われてることです。

「いちばんやってはいけないことの一つ」かもしれません。

 

しかしそのいちばんやってはいけないことが僕を救ってくれたのです。

あのままサラリーマンを続けていたら僕は間違いなく心か身体のどちらかを壊していました。

 

僕は別に「ホームレスになれ」と言ってるわけでも、「世捨て人になれ」と子どもたちに教えたいわけでもありません。

 

収入を得る方法はひとつじゃない

自分の人生は自分で決めることができる頭を使えば、

お金を自分でコントロールすることができる

「投資」にはさまざまなメリットがある

etc、、、

 

ということ(もちろん他にもいっぱいありますが)を言いたいだだけなのです。

そして、そのことを子どもたちに教えてあげたいだけなのです。

 

余計なお世話かもしれません。

そんなこと子どもたちに教えなくても彼らは幸せな人生をおくることができるのかもしれません。

まわりの大人たちが言うように一所懸命勉強して、いい大学に入って、いい会社に就職することによって十分満足な人生を生きることができるのかもしれない。

 

それならそれでもいい。

でも選択肢は多ければ多い方がいい。

一つのやり方でたとえ挫折したとしても別のアプローチを取ればそこからいくらでも挽回できる。

そのことを子どもたちに教えてあげることも子どもたちに希望を与えることなのではないでしょうか?  

 

少なくとも僕が子どもの頃には誰一人そういうことを教えてくれる人がいませんでした。

そのせいで僕はずいぶん傷ついたような気がします。

「勉強ができない」ということに苦しみ、コンプレックスをいっぱい抱え、自己嫌悪にもなりました。

自信を失い、とても悩みました。

 

僕の場合はたまたま運よく自分で自分の道を発見することできたから良かった。

でも、それだってどうなっていたかわからないのです。

一歩間違えたら、ついに発見できないままずっと苦しんでいたかもしれないのです。

 

なぜ僕は随分長いあいだ苦しんでいたのか。

その理由ははっきりしています。

お金のことについて誰も教えてくれなかったからです。

「勉強して、いい大学に入って、いい会社に入って、定年まで真面目に勤める」ということしか教えられなかったからです。

 

他にもいろいろな道がある。

例えば個人事業主になったり、会社のオーナーになったりする道もある。

あるいは僕みたいに投資家になったりする道もある。

だけどまわりにいた大人たちは、「どこかの会社に所属し、そこから給料をもらう」というただ一つの選択肢しか僕に教えてくれなかった。

 

要するに「サラリーマンになれ」としか教えなかったのです。

それが長年、僕を苦しめた。

その選択肢のなさこそが、僕の苦悩の根本的な原因だったのです。  

 

www.youtube.com