サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

「これ以上経済成長しなくても別に構わない」という日本のリベラル左派の考えのおかしさについて。

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 欧米では「もう経済成長はしなくてもいい」なんて言う人はあまりいないそうです。

でも日本では脱成長論や成熟社会論ってすごく人気ありますよね。

 

『ほっこり』という言葉もみんな大好きです。

それは何故でしょうか。

やっぱり仏教の影響でしょうか。

 

あまりにもそういうシュリンク的な考えが主流になりすぎちゃったので、大きな夢を抱く若者が少なくなっていて問題になっています。

若い時期って無謀とも思えるデッカイ夢を抱くことができる唯一の期間ですよね。

そんな血気盛んにできるチャンスの時期なのに、妙に冷静で現実的になっちゃってる人が多い。

 

それは若者のせいというよりも大人たちのせいだと思います。

大人たちが「もう成長しないんだ」「これからは縮んでゆくしかないんだ」というようなことばかり言ってるから、それが若者にも伝染しちゃってるような気がします。

日本社会の風潮がそうさせているのだと思います。

 

この「経済成長を目指さなくてもいい」という考え方は日本のリベラルのあいだでも人気です。

なかには豊かになることを嫌悪している極端な左派の人もいるくらいです。

 

そして、おもしろいのが経済成長を嫌悪する人たちが自分自身は大学の教授であったり、医師であったり、弁護士であったり、公務員であったりというある程度の年収のある職業についているという事実。

このパラドックスを僕たちはどう解釈したらいいのでしょうか。

 

だから彼らは景気を良くするための対策(公共事業など)を快く思っていないフシがある。

 

おもしろいと思いませんか?

普段は「人道的」だとか「平等」とかにこだわっているくせに、国民が(しかも貧しい人が)豊かになるような政策には賛成しないなんて・・・

 

典型的なのが立憲民主党の消費税に対する態度です。

消費税は逆進性の極めて高い税制です。

貧しい人ほど負担が増えてゆく不平等な税制です。

 

本来であるならば、貧しい人の見方であるリベラル陣営は真っ先に反対し、減税(あるいは廃止)を訴えるべきではありませんか?

それなのに立憲民主党は消費税減税に賛成する態度を示していません。

 

先の参議院選挙では「凍結」という曖昧な態度を取りました。

凍結ということはいつか解凍する日がくるということです。

どうしてそんな中途半端な態度を取るのでしょうか?

 

消費税が減税されれば(あるいは廃止されれば)、庶民の生活はだいぶラクになるはずです。

ただでさえも社会保障費の負担が家計を圧迫しているのです。

 

貧しい労働者の見方だったら消費税減税に賛成してもいいのではないでしょうか?

それなのにどうして賛成できないのか。

 

消費税分が浮けば、家計は助かり、その分が消費にまわり、景気だってよくなるかもしれないのに。

僕はいまだに納得のできる答えを枝野さんの口から聞いていません。

 

金持ちは景気が多少悪くなったってビクともしません。

普段からたんまりとため込んでいますので、多少景気が悪くなってもへっちゃらです。

大企業なんて600兆円も内部留保をため込んでいるんですよ!

 

景気が悪くなって苦しい想いをするのは庶民です。

とりわけ貧しい家庭はますます苦しい想いをします。

 

左翼というのはフランス革命のときの市民運動から生まれたものですよね。

「パンが食べれないなら、お菓子を食べればいいじゃない」というマリー・アントワネットへの反発によって生まれた革命です。

 

要するに左翼というのは貧しい人のための集団だったはず。

それなのに、どうして日本のリベラル派「貧しいままでもいいじゃない」「成長しなくてもいいじゃない」「心が豊かであればいいじゃない」という考えになるのでしょうか。

 

そういう考えに取り憑かれているから、公共事業には何でもかんでも反対し、挙げ句の果てに消費税を下げようとしないという摩訶不思議アベコベの立場を取らざるを得ないことになってしまう。。

 

 

カネを話をするのは良くないという風潮

リベラル派の人々のあいだでは「おカネの話は汚い」と考えてる人もいるくらいです。

ちょっと待ってくれよ。

今晩の食卓がカップラーメンや冷凍食品でいいのかということはおカネの話ですよね?

 

お金持ちは野菜や果物のような栄養満点の食材を食べることができる。

きっちり時間をかけて料理をする心の余裕もある。

でも貧乏な人はそうではないですよね。

だからレンジでチンするような食べ物を子供に食べさせるしかない。

 

全部、これ、カネの話じゃないですか。

イッツ・ア・マネーじゃないですか!

 

「いい加減にしろ」と僕は言いたい。

カネの話は汚いなんてよく言えたものだなと言いたい。

 

そういうことを言う人に限って自分は社会的にも認められたきちんとした堅い職業につき、年収も1,000万円近くもらっていたりするのです。

「おカネは汚いもの」「経済は汚いもの」というのは彼らにとっての呪縛だと思います。

 

庶民は「カネの話をしてほしい」と思っているのです。

正義だとか、人権だとか、平和だとかの話はその次です。

 

『衣食足りて礼節を知る』です。

経済的に余裕があれば、心にも余裕が生まれるのです。

心に余裕があれば人のことも思いやることができるようになるのです。

 

今、世の中が殺伐としているのはみんな余裕がないからなのです。

余裕がないのはみんなが貧しくなってるからです。

 

 

僕は以前、こんなツイートをしました。

 

 

 

 

そう言えば、「日本国民みんな全員で貧しくなればいい」と言って炎上した上野千鶴子さんという方がいます。

社会学者の人で、東大の名誉教授の人です。

日本のリベラルの代表格のような存在です。

 

そう言えば彼女は高級外車が大好きで、たくさん高級外車を乗り継ぎ、今はBMWを乗っているそうです。 

「だから何だ?」と言われれば、「いや、なんでもありません」と言うしかないんですが・・

 

「みんなで貧しくなればいいじゃない」とマリー・アントワネットのようなことを言う人が日本のリベラルの中心的人物なんだなぁ・・とふと思っただけの話です。

 

 

庶民への負担は年々増している

 

www.nikkei.com

 

先頃、「国民負担率」が過去の最高となる44.6%になったことが発表されました。

 

国民負担率とは所得に占める税金や社会保険料などの負担の割合がどのくらいかをあらわした指標です。

この国民負担率は昭和45年度には24.3%だったのに対して、今年度は44.6%とおよそ倍近くにまでなっているのです。

 

これは消費税増税や所得税を計算するときの給与所得控除が見直されたことが要因だと言われています。

その代わり、引き下げられたのは法人税です。

 

その甲斐もあり(という言い方はおかしな話なのですが)、我が国の税収はアップしました。

アベ首相は国会などで、「我が国の税収はUPした」と繰り返し答弁しています。

「だからアベノミクスは成功しているのだ」ということを言いたいのだと思いますが、ただ単純に国民から搾り取っただけのことです。

 

この国民負担率が40%を超えたのは7年連続とのこと。

なんのことはない、その7年というのは安倍政権の期間とピタリと一致します。

 

それなのに国民はあいも変わらずアベ内閣を支持しつづけ、選挙になれば自民党や公明党に投票しつづけているのです。

 

この現象は日本だけに限った話ではありません。

欧米などでは「ミレニアム世代」とか「ジェネレーションY」とかと呼ばれる若い世代の所得水準が30年前に比べて大幅に減少していることが問題視されています。

それはまさに『グローバル化』の影響でしょう。

 

そして、ここ数十年間にわたって(アベ政権だけでなく)、そのグローバル化を推し進めようとしてきた勢力が権力の座につき、国民の負担を増大させてきたのです。

 

ここ数年、アカデミー賞作品賞を受賞した『パラサイト』を筆頭に、『万引き家族』『アス』『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』など、似たようなテーマを扱った映画が公開されました。

あの『ジョーカー』もその現象に加えてもいいでしょう。

 

取り扱ってるテーマは格差社会です。

もっと具体的に言えば、グローバル化によって傷つけられた人々です。

 

そのような同じようなテーマをが次々と公開され、高い評価を受けています。

それは偶然でも何でもないと僕は思っています。

 

なぜなら映画をはじめとする優れた芸術(あるいは表現活動)は、常に『そのときの世相』というものを反映するものだからです。

それはビートルズにしてもそうだったし、ベートーベンにしてもそうだった。

それは現代社会を映し出す『鏡』でもあり、また『僕たち自身』でもあるのです。

 

ところがそんな格差社会に苦しんでる人たちを横目に、経済的に豊かに育った世代(それは言うまでもなく団塊の世代ということになるのですが)の人たちは『脱成長論』とか『成熟社会論』を提唱しています。

 

おもしろいことに、かつて自分が学生だった頃に「虐げられている労働者を守れ!」とかって声高々に叫んで学生運動に身を投じていたような人たちでさえもそんなことを口にしています。

とりわけ、上野千鶴子さんが放った「国民みんなで貧しくなりましょう」という提言は強烈でした。

内田樹さんまでもが「小さく生きてもいいじゃないか」というようなことを言っています。

 

僕は自分のことをずっとリベラルな人間だと思って生きてきました。

そして、もちろん今でもリベラル側にシンパシーを感じています。

 

しかし、世間一般的に『リベラル論客』と呼ばれるようなそのような知識人たちの無責任なメッセージには怒りをおぼえます。

経済成長の波に乗って、その恩恵を受け、自分たちは散々いい想いをして飲み散らかしてきて、たっぷり年金をもらう年齢になったら今度は「足を知ろう!」と若い世代に言い聞かせる。

それはあまりにも残酷なことのように僕は思えるのです。

 

 

もう「右か、左か」の時代は終わった

もうイデオロギーで「良い」「悪い」を分ける時代は終わってしまったのです。

『半地下の家族』という言葉は言い得て妙です。

今はもう「右か、左か」ではないのです。

「上か、下か」の時代なのです。

 

その上か下かで分けたときに最上層にいる立場の人間(大学教授なのですから、そりゃ高い所得を得ていることでしょう)が「みんなで貧しくなればいいじゃない」と言い出している・・・

それはあまりにも無責任だと思いませんか?

そして、それはあまりにも不平等だと思いませんか?

 

彼らの主張は一見正しいように見えます。

(だからなおさらタチが悪い…)

 

日本は少子高齢化社会を迎え、社会のあちこちで金属疲労を起こしています。

だから「もうこれ以上、上を目指すのはよそう」「儲け重視の社会からダウンシフトしよう」というのはパッと見、良さげな主張のように思えます。

 

しかし、いっぽうにおいて『パラサイト』や『万引き家族』で描かれたような格差社会という現実が転がっている。

そんな現実に目を向けることなく、その格差の只中で苦しんでる人に手を差し伸べることなく、「成長しなくてもいい」「豊かにならなくてもいい」というのはどうなのでしょうか?

 

アパートの一室で餓死寸前になってる人に向かって、「貧しくてもいいじゃないか」と言えますか?

日本人は仏教の影響なのかどうか知りませんが、『清貧の思想』が大好きです。

だから「脱成長論」とか「成熟社会論」というのは一部の人にとってはウケがいい。

 

そう言えば、ここ数年、断捨離とかミニマリズムとかシンプルライフとかって言葉が流行っています。

ドミニック・ローホーの本も仏教に関する本も軒並みベストセラーになっています。

 

僕はそういった本を熱心に読みあさっていた時期もありますが、今はまったく読んでいません。

今はそういったものはすべて「まったくのインチキだ!」と思っています。

 

もしかしたら、そういったムーブメントはつくられたものではないかと思っています。

広告代理店の会議室で、年収1,000万円を超えるクリエーターたちが集まって、「次はダウンシフト路線ものが流行るんじゃね?」と考えたのかもしれません。

 

金の亡者も問題だと思いますけど、僕は清貧の思想も大いに問題あると思っています。

 

奇しくも、そういった清貧の思想は緊縮財政とウマが合います。

だって、緊縮財政ということは「みんなで我慢しよう=みんなで貧しくなろう」ということですから。

それは緊縮財政を押し進めようという勢力にしてみたら、願ったり叶ったりでしょう。

 

また、貧しさがデフォルトになってくれればグローバル化推進派も喜びます。

だって彼らはなるべく安く(そして、なるべく大人しく)低賃金で長時間働いてくれる人が増えた方が儲かるわけですから。

 

なんと驚くべきことに、かつて反権力や反体制のプラカードを掲げ、貧しい労働者を守ろうとしていた人たちとグローバル化システムの中で権力と体制を維持しようとしている人たちとのあいだに『奇妙な合致』が見られるのです。

おもしろいと思いませんか?

 

自分たちがかつて「敵」とみなしていた金持ち連中に知らず知らずのうちに加担していたなんて・・・

 

 

 

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