ブログをご覧になられてる方のなかには
自分の老後のお金のことで心配になっていらっしゃる方も多いと思います。
今回の記事はそんな人にとって参考になるんじゃないかなと思います。
もう随分前から言われ続けていることですが、僕の親の世代(団塊の世代)が70歳という高齢期に入り、その負担が経済に与えるインパクトが無視できないものになってきています。
彼らは70歳をゆうに超えているのにも関わらず、ミック・ジャガーを例に出すまでもなく非常に元気で、人数もハンパなく多い。
だから彼らに支給される年金の額も相当な額になるはずです。
こうした現状に対して僕ら現役世代はどのように考えていけばいいのでしょうか。
「もしかしたら年金制度は破綻するのではないか?」
そう考えている現役世代や若い世代はかなりの数いるはずです。
僕は企業や政府におんぶに抱っこできる時代はもうとっくに終わったと思っています。
これからの時代はある程度は自分でサバイブしてゆく力をつけなければいけません。そのためにキーワードとなるのが「投資」や「自分のビジネスを持つこと」です。
これらのことを誰もが真剣に考えて嵐を乗り越えていかざる得ない世界になってしまいました。
僕は長い間、サラリーマン生活をしてきました。
社会に出て働いた経験は僕にとって非常に貴重な経験でした。
やっぱり世の中のことをまったく知らない人は事業で成功することはできないのではないでしょうか。
スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグは本当に稀な例なのです。
僕は大学を卒業した後に就職した最初の会社で「リース」の仕事をやり、転職した次の会社では「不動産」の仕事をやりました。
僕はそれぞれの会社で一生懸命働きました。
やがて脱サラして会社を去ることになるのですが、決していい加減に仕事をやっていた訳ではありません。
ただし、僕はその一生懸命働く中でだんだん『労働』ということに疑問を感じるようになっていきました。
結局、いくら働いても本当にいい想いをするのは僕を雇ってる雇用主です。
従業員という立場でいる限り、本当の意味でトクをすることはありません。
社会人になってしばらくした頃、僕はその事実を発見し、とても驚きました。
その頃から僕の興味は「いかにして出世するか」とか、「いかにして仕事をうまくいかせるか」ということよりも投資や自分のビジネスで成功を収めることの方に移っていきました。
でも、そういったことについて語り合える人は僕のまわりには誰一人としていませんでした。
友達も会社の同僚も、上司も先輩も、親戚も、みんなそんなことよりも「今、目の前にある仕事」のことで頭がいっぱいでした。
僕はしだいに孤立していきました。
そして、しだいに変わり者扱いをされるようになっていったような気がします。
まあ、それは今でもあまり変わりませんけど・・笑
会社などで同僚に投資の話をしてもみんな明らかにピンときてない様子でした。
同僚の一人には「そんな夢物語ばかり言ってないでいい加減、現実を見ろよ」と言われました。
でも僕は自分の一生を会社に捧げる気なんかサラサラありませんでした。
自分の貴重な時間をどうして自分以外の第三者のために捧げる必要があるでしょう。自
分の労働力は自分に跳ね返ってきてほしい。
サラリーマンは労働力に対する見返りが少なすぎると思いました。
「会社辞めたら不安にならない?」と彼らは口々に言いました。
でも僕は「会社のために働いてることの方が不安じゃない?」と思いました。
でもおそらく彼らと僕とのあいだには大きな大きな溝のようなものがあるのです。
その溝は絶対に埋まることはない。
いつまでたっても平行線のままです。
彼らは投資やビジネスといったものにまったく興味がないようでした。
一生懸命働ければ、会社や政府が自分のことを守っってくれるものだと真剣に信じているようでした。
65歳まで真面目に働きさえすればあとは年金が支給されるから、その年金で暮らして行けばいいと本気で思っているようでした。
実際、彼らはとても真面目で、一生懸命働きました。
よく勉強もしたし、資格を取ることに関しても熱心で、そういったスキルを取得することに関しては惜しみなくお金を投資しました。
それはとても素晴らしいことだと思います。
僕も『社会人になってからが本当の勉強がはじまる』と心の底から思っています。
ただ彼らが学んでいることと僕が学んでいることとは内容が根本的に違っていました。
彼らはあくまでも自分の仕事上に役に立つであろう学びに熱心に取り組んでいました。
それに対して僕の方は自分の投資や自分のビジネスに役に立つであろう学びに熱心に取り組んでいました。
彼らはそこで学び身につけたスキルを自分の仕事に活かそうとしました。
僕はそこで学んで身につけたスキルを自分の投資やビジネスに活かそうとしました。
どちらもものすごいエネルギーをかけて熱心に取り組んだことには変わりありませんが、そのパワーを注入する場所が全然違うものだったのです。
それが彼らの人生と僕の人生を大きく変えることになるのです。
日本的共同幻想を捨てろ
会社の同僚たちは親世代から教え込まれた『日本的共同幻想』のようなものにまだ酔いしれていました。
「年金」というものに対する考え方も僕とは正反対でした。
僕はどちらかと言うと年金というものに対しては悲観的に考えるタイプの人間でしたが、彼らは極めて楽観的に考えていました。
「まあ、いろいろあるかもしれないけど、大丈夫じゃね? 今まで大丈夫だったし・・・」。
口には出さなくとも、彼らの言葉の端々からはそのような日本の年金制度に対する盲目的な信奉心がありありとうかがえました。
でも僕は違いました。
僕は『就職した会社に定年まで骨を埋めて一生真面目に働くだけの人生』というものが沈みゆくタイタニック号のように思えてなりませんでした。
日本の年金制度に関しても「これ、相当ヤバくね?」という認識を持っていました。
当時はまだ「グローバル化」とか「AI(人工知能)」とかがここまで問題にはなっていませんでしたが、世界が大きく変わろうとしていることだけは僕にもわかりました。
「これだけ世界が変わろうとしているのに自分たちだけ変わらないでいられるなんて・・・そんなことできないんじゃ」と思っていました。
彼らは自分たちの雇用が給料の安い外国人やAIに奪われるかもしれないということなんてこれっぽっちも考えていないようでした。
自分たちが毎月給料をもらっている会社は自分たち65歳になるまで存続し続け、自分たちの年金はきちんと支給されるはずだと本気で考えているようでした。
それは僕にはとてもとても危険なことのように思えました。
彼らはまったく何の準備もしていませんでした。
僕はいつもまったく危機感のない彼らを見ていて、「こういうのをリスクと言うんじゃないだろうか・・」といつも思っていました。
だから僕はどの会社でもいつも浮きまくっていました。
しだいに孤立していったのもわかると思います。笑
僕は「年金は破綻するのが目に見えているから払う必要はない」とか、「オレの払った年金が自分以外の人のところにまわってしまうのが嫌だから払わない」といったようなことを言いたいわけではありません。
だから僕はこれから先もきっちり年金を納めていくつもりです。
たとえ日本の年金制度が崩壊する局面が訪れたとしても、僕が65歳になってもらえる年金の額が今の年金受給者の半分になったとしても僕は年金を納め続けようと思っています。
そうすることによって社会の秩序が保たれると思うからです。
ただし、そのことと自分の老後の問題を『政府がなんとかしてくれるだろう』と考えることとは別です。
僕がサラリーマンをしていた頃、一緒に働いていた同僚たちは「なんだかんだ言って、老後は政府がオレたちの面倒を見てくれるはずだ」という考えに取り憑かれていました。
だから彼らは定年退職した後は、「政府からの援助(=つまり年金)があって当然然るべきだ」と考えていました。
でも僕はまったく別のことを考えていました。
年金は払う。
年金は払うけれどもそのことと自分が老後を迎えた時に政府からの援助を頼ることとはまったく別のことだ」と考えていました。
「あてにする」ということは最も危険な考え方です。
もしもそのあてが外れたらいったいどうやってそれをカバーしたらいいのでしょうか・・
僕は「どんなことをしてもサヴァイヴしていこう」と思っていました。
年金制度がダメになっても慌てふためくことのないようにきっちり準備しておかなければならないと思っていました。
だから僕は投資をはじめたのです。
自分のビジネスを用意し、いざという時に備えておこうと考えたのです。
就職した会社で一生懸命仕事をすることは何も悪いことではありません。
大いにやればいい。
しかし、それと同時に自分の老後の備えもきっちりやっておかなければならないと僕は考えました。
僕らの親の世代(団塊の世代)がそうだったように僕ら団塊ジュニアも年金は満額支給され、悠々自適な老後を送ることができるのかもしれません。
そうなったら僕の努力は「まったくの無駄骨だった」ということになるでしょう。
その時はあっさりと僕は自分の間違いを認め、大人しく年金をもらって静かな余生を送ることでしょう。
でももしも僕が正しかったら?
僕が心配するような世の中がもしもやってきたら?
年金制度が破綻し、僕らの親の世代がもらったような金額の年金を受け取ることができなかったら?
年金を受け取る年齢が引き伸ばされ、65歳で定年退職したあともどこかで働きに行かなければいけなくなったら?
どっちに転んでも僕は大丈夫な状態にしておきたい。
そのために「きちんと準備しておこう」と僕は思いました。
年金もきっちり積み立てているし、投資もやる。
そうすることでどっちの世の中がやってきても大丈夫なようにしておこうと考えました。
もしも年金制度が崩壊しなかったらそれはそれでラッキー。
でも、たとえ年金がもらえなくなったとしてもサバイブできるようにしておこうと考えました。
確定拠出年金が出てきたことの意味
キャリアアップだとか、スキルアップだとか、コミュニケーション能力だとか、プレゼンテーション能力だとか、リーダーシップだとか、etc・・・
僕が会社で働いていた頃にも(多分今でも)いろいろな言葉が飛び交っていました。
それらの言葉は一見すると働いている本人のためのような言葉のように見えて結局は企業やその企業の経営者が喜ぶようなものだったのではないかと僕は考えています。
「結局、みんなプロパガンダに踊らされていただけなんじゃないか?」と・・
確かに僕が働いていた頃にもすごい資格をたくさん保有して、大企業でバリバリ働く人はいました。
だけど、その「バリバリ」は結局のところその人が勤めている会社を喜ばしただけなのではないか。
どんなにその人が何千万円もの年収を稼いだとしてもその人はどこまでいっても雇われの身。
いちばんおいしい想いをしているわけではないのではありません。
じゃあ、いちばんおいしい想いをしたのは誰か?
その人がスキル・アップをし、そのスキルを仕事に活かしてくれることによっていちばん儲かるのは誰か?
その人が余計なことを考えず目の前にある仕事に黙々と取り組んでくれることによっていちばんトクをするのは誰か?
「サラリーマン」という枠組みから自由になって初めて僕は世の中のいろいろな仕組みが見えてきました。
一見すると、それが罠であるなんてわかりません。
でもよくよく考えてみたら、それは明らかに罠であり、多くの人がその罠にハマって身動きが取れなくなっている・・
少なくとも僕にはそう見えました。
子どもには「お金というものは汚いものだ」と教育し、「社会人になったら真面目に働くのだ」と洗脳する。
社会人になってからも投資や自分で事業を興すことのマイナスの側面ばかりを見せて、「危険なことだからやめなさい」と説く。
そして、多くの人に恐怖を植えつける。
投資でメシを食ってるような人は「怪しい」と言い、引きずり降ろそうとする。
そうやって新規参入を阻み、大人しく真面目に働いてくれる労働者が量産されることを望む。
そういうおじさんたちが確実にある一定数の割合、存在しています。
会社の同僚たちにこの話をしても、誰も真剣に僕の話を聞いてくれませんでした。
クラスメートたちにこの話をしても、誰もわかってくれませんでした。
「お前、心配しすぎなんじゃない?」
「日本がダメになるわけねぇじゃん」
「なんだかんだ言って最後は政府がオレたちの面倒をみてくれるんだって」
「大丈夫、大丈夫。お前が言ってるようなことがことなんか起こりっこないから」
etc、、、、
僕は彼らの言ってることが正しいことであることを心の底から願っています。
何の準備もしていない彼らは、ただ『大丈夫』というひと言に自分の全財産を突っ込むつもりらしいです。
彼らが保有してるスキルってやつがこれからやってくるであろう大嵐に役に立つことを切に願うばかりです。
グローバル化が進む世の中において企業のあり方も様変わりしました。
以前の企業は従業人の働く場所でした。
でも、今の企業は「株主に利益をもたらす存在」へと変貌を遂げています。
企業年金も以前は給付型だったのに対してこれからはきっと確定拠出型が主流になってゆくはずです。
これはいったい何を意味しているのでしょうか?
これはもうみなさんの勤める会社がみなさん方に対して、「もうお前の年金のことなんかうちの会社は面倒みないよ」と言っていることとイコールなのです。
みなさんの年金がどうなるかを決めるのはすべては市場。
株価次第。
その運用の実績に応じてみなさんの年金支給額は決定されます。
つまり、確定拠出型というのはそういうことなのです。
この変化は天地がひっくる変えるほどの大きな変化です。
しかし、多くの人はそのことに未だにピンときていません。
いやそれどころか、それがどれほどのインパクトをもたらすのかを知らないまま働いている人も大勢います。
確定拠出型というのはそれまでの給付型とはまったく別のものです。
もしも株式市場が暴落したら、年金の支給額が減らされたり、年金が支給されなくなったりするかもしれないのです。
仮にそうなったら、その年金を当てにしていた人々の生活はどうなるのでしょうか?
そういう人たちはいったい何を当てにして老後を過ごせばいいのでしょうか?
年齢を重ねると、医療費の負担は間違いなく増えます。
介護にかかる費用だって多くなるでしょう。
もしもそれら老後にかかるお金が市場の暴落によって十分なものでないものだったら・・・
みなさんはどのような形でその不足分を埋め合わせますか??
確定拠出型のシステムは決してバラ色のものではないのです。
この新しいタイプの年金プランは多くの人の人生をめちゃくちゃにしてしまう危険性をはらんでいます。
しかもそれらすべては『自己責任だ』というのです。
悪いのは会社や政府じゃない
そのことは最初からわかっていたはずだ
だから一生懸命働いて自分の勤める会社の利益を確保する努力をしろ
etc・・
僕ははっきり言ってこれをかなり問題のある考え方だと思っています。
しかし、世の中がそちらの方向へシフトしていってしまっている以上、どうすることもできません。
そこで上手に立ちまわることしかできません。
僕は自分の食いぶち分ぐらいは自分で確保しようと思っています。
幸い僕の場合、不動産投資もやっているし、株式投資もやっています。
だから年金がゼロになったとしても何とか食いつないでゆくことはできそうです。
でもすべての人が僕みたいな状態にいるわけではありません。
僕は必死になって多くの人に「嵐が来るぞ」「備えておけ」と声を枯らして訴えているのに彼らは一向に僕の言葉に耳を貸そうとしません。
『会社のために身を粉にして一生懸命働く』というソリューションに自分のすべてを賭けようとしています。
ベビーブーマーたち(=団塊の世代)の数の多さと元気の良さは、『ちょっとした脅威』となっています。
これは日本だけに起きてる現象ではありません。
第二次世界大戦という全地球規模で起こった悲劇は70年後にこういった形でもう一度人類に悲劇をもたらそうとしているのです。
なぜ彼らはたくさん生まれたのか?
それは戦争のせいです。
戦争が終わった後、どうにかこうにか生き残って帰ってきた兵士たち。
彼らは「生命の危機」というものを誰よりも感じたはずです。
生物というのはその生命の危機を感じれば感じるほど本能的に『子孫を残そう』と思うもの。
僕たちのDNAはそのようにプログラミングされているのです。
だから兵士たちは戦争から帰ってきた後にたくさんの子供を作ろうと思ったのです。
その子供たちがミック・ジャガーや村上春樹の世代をつくりました。
今はまだ大丈夫です。
最悪の局面はまだ訪れないでしょう。
だけど常に警戒だけは怠ってはいけません。
僕たちは常に時限爆弾を背負いながら生きているのです。
団塊の世代の人たちは給付型の年金プランの恩恵を受けることのできる最後の世代ということになるでしょう。
彼らは人類史上最も恵まれた世代として後世語り継がれてゆくはずです。
でも僕たち団塊ジュニア世代は彼らみたいな恩恵はどうも受けられそうもありません。
おそらく僕らが引退をする頃にはすっかり世の中は変わってしまっていることでしょう。
給付型の年金プランなんてものを採用している企業はほとんどゼロに近い状態になっているかもしれません。
その頃には大多数の企業は確定拠出型の年金プランに移行していることでしょう。
そして、多くの人が株式市場の動向によって自分の人生が決められてしまうような世の中を生きていることでしょう。
僕ら団塊ジュニアの世代は今、40代半ばです。
65歳まで後20年ほどしかありません。
団塊の世代ほどではないにせよ、僕ら団塊ジュニアの世代もかなりの数います。
さて、そうした現状に対してみなさんはどのような対抗手段を持っているでしょうか?