サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

僕が「スーパーシティ法案」に反対する理由について語ろう。

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スーパーシティ法案が5月27日の参院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立しました。

本当に愚かな話だと思います。

 

スーパーシティ法案というのは早い話が「AIやロボットなどの最先端技術を駆使した近未来都市を丸ごとつくっちゃおう」というものです。

その街では自動運転車が走り、ドローンが飛び交い、Amazonで注文したものが自動配送で簡単に自宅に届くようになります。

 

またすべてはキャッシュレスで決済され、ビッグデータやAI技術を活用していろんなことが便利で迅速に済んじゃうようになります。

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引用:内閣府「スーパーシティ」構想について

 

集められた住民の個人情報データは物流や交通、各種公共サービスなどに利用され、あらゆることがスピーディーに対処できるようになるということらしい。

その街では徹底的に規制が緩和され、一般では禁止されてる自動運転やドローンなども利用することができるようになります。

 

この法案のもととなる国家戦略特区というのは実は2013年にははじまっていて、あの加計学園もこの国家戦略特区にからんで設置されました。

 

これだけ聞くと何やら夢と自由にあふれた『夢の近未来都市』ができあがるように思えます。

しかしながらこの法案、実はいろんな問題がてんこ盛り。

かなりヤバイものなのです。

 

個人情報の管理の問題は「監視社会」や「管理社会」の問題を引き起こすでしょう。

おそらく個人情報の流出も起こるはずです。

 

しかもこの夢の近未来都市では国や自治体といち民間企業とが一体になって運営しますので、民間企業が本当に個人情報をきちんと管理することなんてできるのかという疑問が残ります。

おそらく僕やみなさんがどこで誰と会い、何を買い、どんなサービスを利用したかはすべてデータベースに記録されることでしょう。

 

はっきり言って「気持ち悪い・・」の一言です。

僕らの生活(医療、福祉、交通、防災、行政手続きなど)すべてが得体の知れないものによって管理・監視されます。

まさしくジョージ・オーウェルの『1984年』のような世界になるのです。

 

この街のビッグ・ブラザーは「区域会議」と呼ばれる会議。

そこにいったいどんなメンバーが選ばれるかによってすべてが変わってきます。

そして彼らは絶大な権力を持ち、僕たちはすべて彼らの意思決定に従わなければならなくなります。

 

当然、民主主義の根幹である「話しあい」とかは省かれ、少数意見は採用されなくなるでしょう。

 

ちなみにカナダとトロントという街でGoogleがこれに似たような街づくりをやろうとして失敗に終わりました。

「そりゃそうだろ」と僕は思っています。

あのリベラルなカナダがこの極めてネオリベ的なものを受け入れるとは到底思えません。

 

・・と、まあ、大まかな話はそういうことで、この問題点についてはいろんな人が指摘していることだと思います。

だから僕としてはちょっと違う観点からこの法案の問題点を指摘したいと思います。

もっと根本的な話です。

もっと哲学的な話です。

 

そもそも「そんなに便利で、スピーディーな街に暮らして幸せですか?」という根本的な問いです。

 

 

このコンセプト自体は実はもう古い・・

内閣府のWebサイトを見ると「スーパーシティ構想」についてこんなことが書かれています。

 

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なんか、これだけ見るとすごく未来志向の話をしているように思えます。

でも僕の第一印象はまったく逆のものでした。

 

僕は「古いなぁ・・」「いつの時代の話をしてるんだよ・・」といったものでした。

 

はっきり言ってこのコンセプト自体が『ザ・20世記』というカンジがします。

むかしの手塚治虫のマンガ、あるいは70年代の万博、まあ、強いて言えば2000年頃のIT革命の発想です。

 

「未来の」「夢の」「時代にマッチした」というわりにはものすごく時代錯誤で、21世紀っぽくない発想のように思えるのです。

要するに最先端技術を駆使していろんなことを便利に快適にしちゃえ!ってことですよね。

それが「未来型」で「新しい」んだと思ってる。

 

でもその発想でずっと日本は(あるいは世界は)やってきたんじゃないんですかね。

今さらここでことさら持ち上げなくても・・

 

世の中はむかしに比べればずいぶん便利になりましたよ。

僕が子供の頃にはインターネットなんかなかったし、スマホもなかった。

信じられないかもしれないけれど、駅の改札には「きっぷ切りのおじさん」が立っていて、ひとりひとり手作業で電車の切符を切っていました。

そんな時代もあったのです。

 

新しい技術やテクノロジーといったものの進化を止めることはできません。

でもそれを政府主導で早急に進めようとアオることに違和感を感じるのです、僕は。

 

「何か裏があるんじゃないか」

「何か別の思惑があるんじゃないか」

と思ってしまうのです。

 

そしてたぶん僕の読みは当たっていると思います。

 

なんか「未来都市をつくっちゃえば人々は幸せに暮らせるだろう」っていうコンセプト自体が古臭いですよね。

何も進歩してないというか・・

 

スーパーシティなんかで暮らして果たして本当に幸せなんでしょうかね。

幸せってそういうことなんでしょうか。

便利さや快適さが増すにしたがって幸せも増えるものなのでしょうか。

 

僕はとても違和感があるんです。

なんか、とても非人間的で、不自然な空間が出現すると思うんです。

ある意味すごく不気味です。

薄気味悪いです。

 

商店街にある「義理」とか「人情」といったものがまったくない街。

「効率」と「利便性」だけがあり、すべてをビッグデータによって管理されてる街。

そんな街で暮らして幸せですかね?

 

「幸せな暮らし」とは何かについて考えよう

学校というものが様変わりして、みんな自宅で遠隔で授業を受ける。

運動会も学芸会も部活も何もない・・

いったい子供たちをどうしようとしているんでしょうか。

 

僕は学校っていう場所はただ単に勉強するだけの場所じゃないと思っています。

そこに行けば友達がいて、好きな女の子がいて、意地悪をする子がいて・・・ってカンジでいろんな子供たちが集まってみんなでワイワイできる。

 

金持ちの家庭の子、貧しい家庭の子、足の速いヤツ、ルックスのいいヤツ、勉強のできるヤツ、etc・・

いろんな子供たちが集まってくるから『学校』っておもしろいんじゃないですか。

 

確かにいろんなトラブルやいざこざはあるかもしれないけれど、それもひっくるめておもしろいんじゃないですか。

「ZOOMをつかって授業をすればイジメも起きない」とか「通学にかかる時間がもったいない」とか、そういう話ではないと僕は思うのです。

 

またこのスーパーシティではすべての買い物はデータとして残ります。

みなさんがどこで、いつ、何を買ったかがすべてビッグ・データに管理されます。

そのデータは国家がカンタンに見ることができます。

プライバシーが国家によってのぞかれるのです。

 

冷暖房が完備されたオフィスでパソコンに向かうズラーっと並んだメガネをかけたおじさんたちを想像してみてください。

その得体の知れないメガネおじさんたちがみなさんのプライバシーを閲覧するのですよ。

気持ち悪くないですか?

 

なんでそんなことする必要があるんですか。

僕は自分が買ったものが誰かにいちいち知られるなんて嫌です。

 

なんかすべては「儲け」のためにやってるような気がしてならないのです。

ありとあらゆることが民営化されるというのはそこで儲ける企業が出てくるってことです。

 

そこは夢の未来都市どころか、『資本主義の縮図』みたいな街になるはずです。

そんなテンションの高い街で暮らして幸せですか?

僕はとても落ち着いて暮らせない。

常に誰かに見張られ、管理されてるような気がして気持ち悪いですね。

 

これ、結局「夢だ」「便利だ」「生産性だ」って散々いいこと言っておいて、結局国民を搾取してある特定の企業を儲けさせるための法案なんじゃないかと思えてなりません。

 

さらにこのスーパーシティでさまざまな実験をして技術を磨き、その技術を海外に売ることを目的に人工的につくられる街のような気がしてなりません。

結局のところ、そこでいい思いをするのは金持ちや大企業や政府だけ・・

 

国民や住民は利用され、搾取され、実験用のモルモットにされるだけのなのではないかと危惧しています。

 

このスーパーシティはようするにスマホ・ゲームにおける課金システムのようなものになってゆくと思います。

「この利便なサービスを利用したいの? じゃあ、課金しろよ。きちんと課金した人だけが次に進めるから」ということになると僕は思っています。

 

そして、結局のところそのサービスを利用しなければ普通の暮らしができないように最初からプログラムされているので、結局みんな課金せざるを得ないことになる・・

それのどこが「夢のスーパーシティ」なのでしょうか。

そんな街で暮らして幸せですか?

 

この法案自体が大企業や資本家を儲けさせるための法案なのです。

そこに「すべての日本国民を幸せにしよう」という発想はゼロです。

 

ザ・資本主義!!

 

そんなギラギラした街で生きていたらアタマがおかしくなりますよ。

そんな街で子供を育てたらおかしな大人になりますよ。

 

僕はとても危惧しています。

そこには商店街もなく、森もなく、義理や人情もない。

すべてが不自然で、すべてが人工的・・

 

もうそういうやり方は古いんだってことを人間は学んだはずじゃなかったでしたっけ?

 

それはネオコンが闊歩してたブッシュが大統領だった頃の発想ですよ。

それは「IT革命」「ドットコム・バブル」とかって言われてた頃の発想ですよ。

もっと言えば、それは70年代の大阪万博の頃の発想ですよ。

 

「GAFAがすげぇ!」って言われてますけど、結局そういうグローバル企業は中国をはじめとする発展途上国の犠牲のうえに成り立っていただけの話。

安い労働力をつかって安く製品をつくり、それを先進国で高い値段で売る。

そして、本社を税金の安い国に移したりして法人税をなるべく払わないようにする。

 

そりゃ、儲かるはずですよ。

でも、もうそのやり方にも「かげり」が見えはじめています。

 

今、世界各地で起こりつつある反グローバルおよび反緊縮の流れはそれを象徴しています。

それなのにこのスーパーシティ構想はその流れに逆行して、「もう一度グローバル・スタンダードを復活させよう!」というコンセプトを掲げているように見えます。

 

はっきり言って、古い!

そして、ダサい!

もうとっくにそういう時代は終わったのに。

もうとっくに「そのやり方は人々を幸せにしない」ということがバレてしまったのに。

 

僕はこの法案は人間を幸福にするどころか、どんどん不幸にすると思っています。

格差はますます開き、たくさんの貧困者を生み出すと思っています。

 

このドサクサに紛れてそのようなキケンな法案を通してしまうというのですから・・

人間というのはどこまでいっても愚かだと言わざるを得ません。

 

国民はこの法案の危険性について知らされていない

 この「スーパーシティ法案」という名前自体、なんのことだかさっぱりわからないと思います。

いかにも官僚がつけそうなタイトルです。

 

北村大臣は共産党の田村議員からの「なぜこんな世の中が大混乱している最中にこんな法案を焦って通す必要があるんですか?」という質問に対してこう答えました。

「こういう大変な時期だからこそ必要なんです」

これはどういう意味なのでしょうか。

 

ダブル・ミーニングがあるように思えてなりません。

1つ目の意味は「マイナンバーなどで国民がデータ管理されていれば給付金などを迅速に届けることができた」という意味。

 

おそらくそういう趣旨で発言されたのでしょうが、僕はここにもう1つ別の意味が隠されているような気がしてなりません。

それは文字通り、「こういうドサクサに紛れて、国民が知らないあいだに通しちゃいたかったんだ」という意味です。

 

国民に知られてはマズイことがそこに隠されているのでしょう。

だからこうやってコソコソと法案を通すようなマネをするのです。

 

テレビでもほとんど報道ませんでした。

国民はこの法案の中身すらいまだによくわかってないんじゃないでしょうか。

 

「ドローンや自動運転が行き交う夢の未来都市なんでしょ? なんかワクワクするし、便利そうジャン」

おそらくこれくらいの認識しか持っていないのではないでしょうか。

 

そんなに便利で、そんなに住民にとってプラスとなるならばなぜカナダのトロントの住民たちは反対したのでしょうか。

なぜGoogleは撤退を余儀なくされたのでしょうか。

 

5G

ドローン

自動運転

マイナンバー

キャッシュレス

顔認証

行政手続きの電子化

ビッグデータ

オンライン授業

インフラ整備の民営化

etc・・・

 

便利で、スムーズで、新しい未来都市がこの日本のあちこちで出現します。

・・そんなに良いものなのにその中身については国民のほとんどが知らないというパラドックス。

 

政治家も官僚もそこに関わる竹中平蔵氏をはじめとする関係者のみなさんもなぜか大ぴらにしようとしない不自然さ。

 

すべてが謎に包まれています。

すべてが不可解です。

すべてが不気味です。

大丈夫なのでしょうか。

 

こんなものを日本に導入して、日本はいったいどうなっちゃうのでしょうか・・

 

僕が子供の頃に流行ったジュリーの代表曲のひとつ『TOKIO』にはこんな歌詞が登場します。

 

“欲しいなら 何もかも

その手にできるよ AtoZ

夢を飼う 恋人に

奇跡を生み出す スーパー・シティ”

 

あの頃、「スーパー・シティ」という言葉には何やら近未来でポジティブな響きがありました。

でも今はネオリベたちが闊歩するディストピア格差社会を象徴する言葉になろうとしています。

 

さらに『TOKIO』にはこんな歌詞も登場します。

 

“霧にけむった 不思議の街に

あやしい 胸さわぎ

やすらぎ知らない 遊園地が

スイッチひとつで 

まっかに燃えあがる”

 

ビッグデータに管理された、「競争、競争、競争・・」ばかりの街じゃそりゃ落ち着かないし、疲れるだろうな。

 

そこには「やすらぎ」なんてないだろうな・・

 

 

 

TOKIO

 

 

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