サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

楽しんで生きることに罪悪感を抱く必要はないと僕が思う理由について。

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世の中が不安定になり自分のやってることに自信がなくなってくると、ついつい頼りたくなってくるのが『古い価値観』ってやつです。

例えば「楽しいことばかりを追求するのは良いことじゃない」という考え方があります。

これも僕に言わせれば古い価値観のうちのひとつです。

 

今、「本当は楽しい方へ行きたいんだけど世間の風潮とかまわりの目とかが気になってなかなか踏ん切りがつかない・・」というジレンマを抱えている人が大勢います。

 

僕は自分の中で「楽しい」と思える方ばかりを選択して今日まで生きてきました。

そのおかげで37歳のときに脱サラして経営者になることができた。

だからこうして自由気ままな毎日を過ごすことができているわけです。

 

人間は弱い生き物です。

ついつい自分の声よりもまわりの声を優先してしまうことがあります。

 

でもいちばん大切にしなきゃいけないのは自分の声なのです。

その自分の声が「あっちの方がきっと楽しいよ!」と言っているのならばきっとそれが正解です。

 

みなさんの心はちゃんとみなさんに正解を教えてくれているんです。

そのシグナルを無視して生きると必ず悪い結果がもたらされることになります。

 

僕は自分のことを『北海道でいちばん自由なパパなのではないか?』と思っています。

こんなに自由な毎日を送っていてバチが当たらないか・・・と、ときどき心配になったりもします。笑

 

僕の収入のほとんどは不動産からの家賃収入です。

2010年の12月に法人成りをし、10年近く会社を経営してきました。

おかげさまでここ数年はずっと黒字決算をつづけています。

 

はっきり言って今の僕のこのような生き方というのは以前の常識では考えられないことだったと思います。

それは「あり得ない」とされてきたライフスタイル。

もっと言えば「あってはならない生き方」だったでしょう。

 

僕が子供の頃、どこかの会社に就職してとにかくそこで定年まで勤め上げるのが『まっとうな生き方』と思われてきました。

それが常識でした。

 

それ以外の生き方はなかったと言っても過言ではありません。

僕も人生の途中まではそれに沿った生き方をしていました。

でも37歳のときにその『既定路線』から外れる生き方を選んだのです。

 

それまで勤めていた会社を辞め、不動産投資から得られる収入だけで生活をするようになりました。

それは『非常識』と言われるような生き方でした。

 

そう、僕はアウトサイダーになったのです。

 

でもアウトサイダーになってみて、僕は良かったと心の底から思っています。

やっぱり自由でストレスフリーで(それなりの)豊かさのある暮らし。

やっぱりそれこそが『まっとうな』『人間らしい』暮らしだと思います。

 

僕も(そして現代社会を生きる多くのビジネスパーソンたちも)、どうやら大きな勘違いをしていたようです。

 

不動産投資は基本的には不労所得です。

きちんとした管理会社と契約し、そこに物件の管理を任せてしまえばこちらとしては特に何もやることはありません。

 

あとは自由にのんびり過ごすことができます。

昼寝をしながら猫とゴロゴロしていてもいい。

 

ときどき、「オレだけこんなに楽しい毎日を送っていて本当にいいのかな?」と思うこともあります。

でもだからといってサラリーマンに戻りたいとは思いません。

 

誰だってそうでしょ? 

会社に拘束され、ノルマを抱えて朝から晩まで働きづめの毎日より自分の好きなことをやって楽しく生きていた方がいいでしょ?

 

僕は今の自分に満足しています。

僕の選択は間違っていなかったと心の底から思っています。

人生というのは『楽しんだモン勝ち』なんです。

 

いろいろ御託を並べるひとはいますけど、結局のところどうせ生きるなら楽しい人生の方がいいに決まっています。

自由でストレスのない人生の方がいいに決まってます。

「人生を楽しむ」ということに罪悪感を持つ必要はないのです。

 

だから僕はいつも人に言うんです。

「自分の人生を幸せなものにしたかったら自分が楽しいと心の底から思える方を選択しよう!」って。

 

 

日本的価値観を疑え

時代はどんどん変わっていきます。

むかし通用したやり方も今ではどんどん通用しなくなってきています。

 

むかしと同じ方法論や価値観に縛られて生きることは大変危険なことなんです。

いい大学に入って、いい会社に就職して、定年まで一生懸命働く・・・かつてはそれが幸せな人生を運んでくれる最も賢い方法でした。

 

でも今は違うんです。

いい大学を卒業していい会社に入っても、その会社の業績が悪くなれば簡単にリストラされてしまう・・・僕らはそんなグローバル資本主義の中で生きています。

 

大企業につとめていてリストラされた社員の方々は決して無能な人たちだったわけではないと思います。

勉強もできたし、真面目だったし、優秀な社員だったと思います。

それでも色んな事情により辛い立場に追い込まれてしまった・・

 

僕が子供の頃は中国という国がこんなに経済発展するなんて考えられないことでした。

インターネットというものが世の中に登場し、アップルという会社やGoogleという会社やAmazonという会社がTOSHIBAよりも大きな会社になるなんて夢にも思っていませんでした。

 

「一生懸命働いて定年まで真面目に勤め上げれば幸せになれる」という日本的価値観。

それがいかに時代遅れのものであるかわかっていただけるでしょうか・・

 

一生懸命働きたくても肝心の会社の方がダメになってしまうかもしれない・・

僕たちはそんなものすごい時代に生きています。

 

ところが未だに多くの人が時代遅れの価値観にとらわれています。

そしてそこに自分のリソースを全部捧げてしまっているのです。

 

それはいつ暴落するかわからない(いや、いずれ暴落するに決まっている)ファンドに自分の全財産を投資してしまっているようなものです。

こんなに危険なことはありません・・

 

じゃあ、どうしたらいいのか?

そのときキーワードとなるのが『楽しむ』という言葉だと思います。

 

とにかく心の底から楽しいと思えることをやり、楽しいと思える方へ行くこと。

それが幸せな人生を手にする最大のコツです。

 

さて、みなさんの楽しいと思うことは何でしょうか。

それがわかったらしめたもの。

あとはそれを実現するためにはどうしたらいいのかを真剣に考えれば、自ずと答えは出てくるはずです。

 

それがどんなに世間の常識とかけ離れたものであったとしても、それが自分が楽しいと心の底から思えることならばそれをやるべきです。

それを選択すべきです。

それが正解です。

 

楽しいことを見つけることができたらどんなに辛いことも乗り越えることができます。

苦しいことも苦しいことだと思わなくなります。

 

僕は以前、不動産会社でサラリーマンをしていました。

いろいろ大変な目にも遭いました。

だけどそれを修行だと思ってやっていたんです。

 

「この辛い経験がいつか役に立つ時がある」「これは不動産の勉強をしているんだ」と思いながら働いていました。

そう思えばどんなに辛いことも乗り越えることができました。

 

僕は不動産投資が僕の人生を救ってくれるという確信がありました。

不労所得を得る方法の中で不動産投資が最も確実で最も賢い方法であることもわかっていました。

 

あとは『経験』だけでした。

経験さえあれば手強い不動産の世界で生き抜いてゆくことができる。

僕はそう確信していました。

 

その考えがあったから僕は辛い不動産の仕事も頑張り抜くことができたのです。

『この先に楽しいことが待っている』という確信があれば人間は困難を乗り越えることができます。

 

要するに「希望」です。

希望があれば人間は生きてゆくことができるのです。

仕事の悩みでも、恋の悩みでも、人間関係の悩みでも、etc・・・そこに希望があれば人は「よし、頑張ろう!」と思えるのです。

 

日本人はなぜか楽しく生きている人のことをあまり評価しない傾向があります。

それどころか楽しそうにしている人のことをバカにしたり、攻撃したりするところがあります。

 

でも僕は断言します。

人生に楽しみを持っている人の方が持っていない人よりもはるかに幸せになれます。

人生に楽しみを持っている人の方が持っていない人よりもはるかに仕事を頑張れます。

人生に楽しみを持っている人の方が持っていない人よりもはるかに素敵に見えます。

 

人間はとても弱い生き物なのです。

毎日毎日つらいことの連続だったら参ってしまうんです。

僕たちは自分たちが思っているよりも強くないのです。

だからこそ「楽しみ」が必要なんです。

 

楽しみは苦しみを癒す薬です。

それなのになぜ多くの人は楽しく生きることを

そんな苦しみを癒す薬のことを悪く言うのでしょうか? 

 

僕には理解できません。

  

「頑張り病」には気をつけて

頑張って何かを手に入れた人、努力に努力を重ねて目標を達成できたような人はその成功体験を人にも強要しようとします。

そういう人は「がんばって努力をすれば夢は叶うものだ」という妄想に取り憑かれています。

 

だから自分の子供だろうが、会社の部下だろうがお構いなしに自分と同じようにがんばって努力することを押し付けるのです。

そして結果が出ない時は「頑張りが足りない」「努力が足りない」と言って相手を責めます。

 

自分がやってできたものだから相手もできるものだと信じている。

こういうタイプの人がリーダーになってしまった集団というのは悲劇です。

その集団に属していてもちっとも楽しくありません。

 

「楽しくない」という状態はいい結果をもたらしません。

子育てだろうが、恋愛だろうが、仕事だろうが、スポーツだろうが、「楽しくない状態」のまま結果を出すのってすごくむずかしいことなんです。

 

本物のリーダーというのは自分がどんなに頑張り屋の努力家タイプだとしても、決してそれをひけらかしたり他人に強要したりはしません。

組織が円滑にまわることを第一に考え、決してワンマンにならないように注意しています。

 

クリスティアーノ・ロナウドが1人だけいてもサッカーの試合では勝てないのです。

まわりの選手たちがお膳立てをしてくれて、初めてクリスティアーノ・ロナウドは生きてくるのです。

ロナウドがゴールを量産することができるのはまわりのチーム・メートがきちんとパスをつなぐことができたからなのです。

 

まわりのことを責めてばかりいるリーダーはリーダー失格です。

どんなに優秀で、どんなに輝かしい実績をあげた人だとしてもその人はリーダーとしては失格です。

 

雰囲気を悪くして、まわりをまとめることができないリーダーがどうして本物のリーダーになれるでしょうか。

 

大学を卒業して就職した会社は完全な『体育会系のノリの会社』でした。

まわりの人たちは「頑張ればうまくいく」と心の底から信じていました。

 

上から下までその調子で、まるで軍隊のような規律正しさでした。

本当に息苦しい職場でした。

 

言うまでもないことですが全然楽しくありませんでした。

ああいう雰囲気を作り上げてそれで業績がアップするという信仰心は一体どこからきたのでしょうか。

 

辛いことや苦しいことを乗り越えればその先に栄光があると考えたい気持ちはよくわかります。

日本は戦後、焼け野原からスタートしました。

そしてものの見事に経済発展を遂げました。

その『成功モデル』を繰り返したくなる気持ちもよくわかります。

 

しかし日本はもう行き着くところまで行き着いてしまったのです。

辛いことや苦しいことを乗り越えさえすればうまくいくという考え。

それがいつまでも続くと思ったら大間違いなのです。

 

僕はなるべく辛いことや苦しいことをしないで生きていきたいと思っています。

楽をして暮らしたいわけではありませんが、「とにかく嫌なことでも我慢すればうまくいく」という価値観には賛同できません。

 

辛い想いや苦しい想いをしなくても物事がうまくいくのだったらそれに越したことはないのではないでしょうか。

自分なりの楽しさを人生の中に見つけ出してその楽しさを追求する生き方をしてもいいはずなのです。

それでうまくいくならそれに越したことはないのです。

 

「嫌なことを我慢した人間じゃなきゃ成功しない」なんてことはありません。

逆に自分のなりの楽しみを持ってる人の方が成功したりするものです。

 

「釣りが趣味で、週末に釣りに行くことが人生の楽しみだ」という人

「愛する恋人と今度の休みに旅行に行く予定だ」と人

 

そういう人の方がなぜか仕事もうまくいくものです。

そしてなぜかそういう人の方が人望もあつく、出世したりするものです。

 

『楽しむ』って実はすごく大切なことなんです。  

なぜ多くの人は「楽しく生きる」ということに罪悪感を感じてしまうのでしょうか? 

楽しく生きることは何も悪いことではないのに・・・

 

 

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