サカモトハルキの哲学

経営者。投資家。不動産投資と株式投資やってます。趣味で詩も書いてます。5棟74室+月極P24台(2010年12月より法人化)。配当狙いの個別株投資。

真面目でリベラルな人ほど格差社会に加担するという奇妙な現象について思うこと。

f:id:orange345:20200228105936j:plain

 

 

こんなツイートをしました。

 

 

 

 

 

www.nikkei.com

 

先頃、「国民負担率」が過去の最高となる44.6%になったことが発表されました。

 

国民負担率とは所得に占める税金や社会保険料などの負担の割合がどのくらいかをあらわした指標です。

この国民負担率は昭和45年度には24.3%だったのに対して、今年度は44.6%とおよそ倍近くにまでなっているのです。

 

これは消費税増税や所得税を計算するときの給与所得控除が見直されたことが要因だと言われています。

その代わり、引き下げられたのは法人税です。

 

その甲斐もあり(という言い方はおかしな話なのですが)、我が国の税収はアップしました。

アベ首相は国会などで、「我が国の税収はUPした」と繰り返し答弁しています。

「だからアベノミクスは成功しているのだ」ということを言いたいのだと思いますが、ただ単純に国民から搾り取っただけのことです。

 

この国民負担率が40%を超えたのは7年連続とのこと。

なんのことはない、その7年というのは安倍政権の期間とピタリと一致します。

 

それなのに国民はあいも変わらずアベ内閣を支持しつづけ、選挙になれば自民党や公明党に投票しつづけているのです。

 

この現象は日本だけに限った話ではありません。

欧米などでは「ミレニアム世代」とか「ジェネレーションY」とかと呼ばれる若い世代の所得水準が30年前に比べて大幅に減少していることが問題視されています。

それはまさに『グローバル化』の影響でしょう。

 

そして、ここ数十年間にわたって(アベ政権だけでなく)、そのグローバル化を推し進めようとしてきた勢力が権力の座につき、国民の負担を増大させてきたのです。

 

ここ数年、アカデミー賞作品賞を受賞した『パラサイト』を筆頭に、『万引き家族』『アス』『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』など、似たようなテーマを扱った映画が公開されました。

あの『ジョーカー』もその現象に加えてもいいでしょう。

 

取り扱ってるテーマは格差社会です。

もっと具体的に言えば、グローバル化によって傷つけられた人々です。

 

そのような同じようなテーマをが次々と公開され、高い評価を受けています。

それは偶然でも何でもないと僕は思っています。

 

なぜなら映画をはじめとする優れた芸術(あるいは表現活動)は、常に『そのときの世相』というものを反映するものだからです。

それはビートルズにしてもそうだったし、ベートーベンにしてもそうだった。

それは現代社会を映し出す『鏡』でもあり、また『僕たち自身』でもあるのです。

 

ところがそんな格差社会に苦しんでる人たちを横目に、経済的に豊かに育った世代(それは言うまでもなく団塊の世代ということになるのですが)の人たちは『脱成長論』とか『成熟社会論』を提唱しています。

 

おもしろいことに、かつて自分が学生だった頃に「虐げられている労働者を守れ!」とかって声高々に叫んで学生運動に身を投じていたような人たちでさえもそんなことを口にしています。

とりわけ、上野千鶴子さんが放った「国民みんなで貧しくなりましょう」という提言は強烈でした。

内田樹さんまでもが「小さく生きてもいいじゃないか」というようなことを言っています。

 

僕は自分のことをずっとリベラルな人間だと思って生きてきました。

そして、もちろん今でもリベラル側にシンパシーを感じています。

 

しかし、世間一般的に『リベラル論客』と呼ばれるようなそのような知識人たちの無責任なメッセージには怒りをおぼえます。

経済成長の波に乗って、その恩恵を受け、自分たちは散々いい想いをして飲み散らかしてきて、たっぷり年金をもらう年齢になったら今度は「足を知ろう!」と若い世代に言い聞かせる。

それはあまりにも残酷なことのように僕は思えるのです。

 

もうイデオロギーで「良い」「悪い」を分ける時代は終わってしまったのです。

『半地下の家族』という言葉は言い得て妙です。

今はもう「右か、左か」ではないのです。

「上か、下か」の時代なのです。

 

その上か下かで分けたときに最上層にいる立場の人間(大学教授なのですから、そりゃ高い所得を得ていることでしょう)が「みんなで貧しくなればいいじゃない」と言い出している・・・

それはあまりにも無責任だと思いませんか?

そして、それはあまりにも不平等だと思いませんか?

 

彼らの主張は一見正しいように見えます。

(だからなおさらタチが悪い…)

 

日本は少子高齢化社会を迎え、社会のあちこちで金属疲労を起こしています。

だから「もうこれ以上、上を目指すのはよそう」「儲け重視の社会からダウンシフトしよう」というのはパッと見、良さげな主張のように思えます。

 

しかし、いっぽうにおいて『パラサイト』や『万引き家族』で描かれたような格差社会という現実が転がっている。

そんな現実に目を向けることなく、その格差の只中で苦しんでる人に手を差し伸べることなく、「成長しなくてもいい」「豊かにならなくてもいい」というのはどうなのでしょうか?

 

アパートの一室で餓死寸前になってる人に向かって、「貧しくてもいいじゃないか」と言えますか?

日本人は仏教の影響なのかどうか知りませんが、『清貧の思想』が大好きです。

だから「脱成長論」とか「成熟社会論」というのは一部の人にとってはウケがいい。

 

そう言えば、ここ数年、断捨離とかミニマリズムとかシンプルライフとかって言葉が流行っています。

ドミニック・ローホーの本も仏教に関する本も軒並みベストセラーになっています。

 

僕はそういった本を熱心に読みあさっていた時期もありますが、今はまったく読んでいません。

今はそういったものはすべて「まったくのインチキだ!」と思っています。

 

もしかしたら、そういったムーブメントはつくられたものではないかと思っています。

広告代理店の会議室で、年収1,000万円を超えるクリエーターたちが集まって、「次はダウンシフト路線ものが流行るんじゃね?」と考えたのかもしれません。

 

金の亡者も問題だと思いますけど、僕は清貧の思想も大いに問題あると思っています。

 

奇しくも、そういった清貧の思想は緊縮財政とウマが合います。

だって、緊縮財政ということは「みんなで我慢しよう=みんなで貧しくなろう」ということですから。

それは緊縮財政を押し進めようという勢力にしてみたら、願ったり叶ったりでしょう。

 

また、貧しさがデフォルトになってくれればグローバル化推進派も喜びます。

だって彼らはなるべく安く(そして、なるべく大人しく)低賃金で長時間働いてくれる人が増えた方が儲かるわけですから。

 

なんと驚くべきことに、かつて反権力や反体制のプラカードを掲げ、貧しい労働者を守ろうとしていた人たちとグローバル化システムの中で権力と体制を維持しようとしている人たちとのあいだに『奇妙な合致』が見られるのです。

おもしろいと思いませんか?

 

自分たちがかつて「敵」とみなしていた金持ち連中に知らず知らずのうちに加担していたなんて・・・