サカモトハルキの哲学

北海道で5棟74室+月極P24台の大家やってます。2010年12月より法人化(10期目に突入!)。奥さんと中2小5男子と猫と自由にのんびり暮らしてま〜す!

気づいていますか? 台東区が避難所からホームレスを締め出した件の本当の恐ろしさについて

 

 

times.abema.tv

 

この台東区のホームレス締め出しの件。

本当に腹立たしいし、日本のいろんなことを考えさせられる事件だと思います。

日本という国には「人権」ってものはないのでしょうか。

 

この避難所からホームレスのおじさんを追い出した行政の人は日本国憲法で書かれている基本的人権のことをどう思っているんでしょうか。

 

第十一条

国民は、すべての基本的人権の享有(きょうゆう)を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 

欧米諸国にはキリスト教があります。

だからイタリアなどではホームレスをはじめとする社会的弱者を手厚く保護しようとします。

日本には宗教がありません。

「日本には仏教がある」と言う人もいますが、こういった災害などに遭遇したときに機能するような直接的な宗教はありません。

ところが、そういう人々に施しを与える宗教はないにもかかわらず、ここ最近の日本には『自己責任教』が蔓延しています。

 

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ホリエモンなどは年金デモを行った人たちに対して「税金泥棒」と言い放ちました。

「手取りが14万しかない」というワーキング・プアの人に対しても、「お前が悪い」と言い放ちました。

 

そしてそういうホリエモンみたいな価値観を持った人のことをかなりの数の人が崇拝、共感している。

本当に恐ろしい社会になったものです。

 

あの資本主義の権化であり、自己責任の本家であるアメリカですらここまで弱者に冷たい社会ではありません。

やっぱり、アメリカにもキリスト教がありますから。

「弱者には手を差し伸べよう」というセーフティ・ネットが機能しています。

まあ、あちらはカトリックではなく、プロテスタントですけどね。

 

日本はいったいどうしてこんな国になってしまったんでしょうか。

あんな大型の台風が来てる最中に避難所から追い出すということは、「のたれ死ね!」と言ってるのと同等の行為です。

 

しかも、中に入れないので仕方なく入り口のところにいたら、そこからも移動を命じられたというのです。

 

僕はこの話を聞いたとき、なぜか涙が出てきてしまいました…

その涙はもちろん、そのホームレスのおじさんがかわいそうだという涙なのですが、もうひとつ『日本はどうしてこんな国になってしまったんだろう…』という涙でもあります。

 

中に入れるのはきちんと住所を持っているだけ。

要するに、パスポートや通行券を持っている「ある一定の人だけ」が中に入ることを許され、そういう人だけが楽しい時間を過ごすことができる。

 

いつから日本はディズニー・ランドになったんですか?

 

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住所を記入できない人は助けないということ。

これがいかに凄まじいことか。

その判断をした台東区の担当者の人は知っているのでしょうか。

 

自分がやっていることは憲法違反かもしれないということをほんのちょっとでも頭をかすめたのでしょうか。

自分がやってることは日本社会を根底から覆すほどの重大なことであるという認識をどれだけ持っていたのでしょうか。

 

おそらくそれほど深く考えなかったのではないでしょうか。

その人のアタマのなかには、『住所が台東区ではない=避難所には入れない』という杓子定規な考えしかなかったのではないでしょうか。

 

公務員というのはとても真面目な人たちです。

上から言われたことは忠実に守ります。

ルールには明確に従います。

前例どおりに動きます。

秩序を守ろうとします。

 

だから逆に危険なのです。

だからイレギュラーなことが起こったときに、とんでもない非人道的な判断を平気でしてしまうのです。

 

それはその人の悪意ではありません。

どちらかと言えば、善意です。

その人は本気で台東区の区民のためを思って、ホームレスの受け入れを拒否したのでしょう。

まったく悪気はないのです。

 

きっと今もピンときてないはず。

今も「自分は何も間違ったことはやっていない」と思ってるはずです。

 

だからこそ余計にタチが悪いのです!

 

 

人権よりも自身の真面目さや業務遂行の方を優先させてしまうということの恐ろしさ。

これほど恐ろしいことはありません。

 

ツイッターなどでは「税金を払っていないのだから陸受け入れを拒否するのは当たり前だ」という意見もチラホラ見受けられました。

これも最近の日本でよく見られるようになった考え方です。

 

ホリエモンも年金問題のときに似たようなことを言ってましたよね。

要するに、税金を払ってるヤツ(しかも、高い税金を払ってるヤツ)が偉いんだという考え方。

高い税金を払ってるヤツが税金を払ってないヤツの面倒を見ているんだという考え方。

 

いつの間にか基本的人権よりも、カネの方が優先させてしまうというトンデモ理論。

こういう考え方の行き着く先は『優生思想』ですよ。

 

ja.wikipedia.org

 

そんなことを言い出したら、そのホームレスのおじさんだってもしかしたら以前は会社の社会か何かで、たっぷり税金を払ってきたのかもしれません。

もしかしたら、受け入れを拒否したその台東区の担当者よりも多く所得税や住民税(会社を経営していたのならば法人税も!)払っているかもしれないのです。

 

でも、そんなこと言い出したらキリがないじゃないですか。

税金を払っていようがいまいが、僕たちは一人も見捨ててはいけないんです。

それができなくなった社会は必ず崩壊します。

 

いや、もう日本社会は崩壊しているのかもしれませんね。

このようなことが現に起こっているのですから、、、

 

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そもそもの話、その台東区の職員はいったいどんな権限をもっていたのでしょうか。

その人に命を選別する権利があったのでしょうか。

 

その後、そのホームレスのおじさんがどうなったのかは知りません。

無事だったのか、それとも無事じゃなかったのかも知りません。

だけど、大嵐が吹き荒れる中、その避難所をあとにするときの気持ちはどんな気持ちだったんだろうと想像すると、胸が苦しくなります。

 

その姿は未来の僕らの姿でもあるのです。

いつ僕らも(何らかの理由により)、挫折を味わうことになるかわからないのです。

いつ自分が差別され、区別され、足蹴にされるかわからないのです。

 

現にそういう社会になってるじゃないですか。

日本社会には敗者復活なんてないじゃないですか。

 

ひとたびレールから落ちてしまったら最後、もう2度と這い上がれない。

どんどんそういう社会になってるじゃないですか。

 

こんなに「コスパ野郎」や「ポジション取り野郎」が増えてきたのは、そういった背景があるからです。

みんな本当は怖いんです。

不安なんです。

 

「いつ自分が負け組に転落するかわからない…」という恐怖と不安に怯えて暮らしているのです。

 

「空気」の研究 (文春文庫)

「空気」の研究 (文春文庫)

 

 

 『「空気」の研究』という有名な本があります。

 

これは太平洋戦争に突っ込んでいった日本がいかにその場の空気に従い、その空気のとおりに行動していったかについて分析した興味深い本です。

 

みなさんも普段の会社勤めのなかで十分すぎるくらいに認識していることだと思います。

日本人は空気に流されるところがあるのです。

だから怖いんです。

 

きっとその台東区の職員もそうだったのではないでしょうか。

その場の空気に流され、その空気にしたがったのではないでしょうか。

しかも、責任者も不明。

 

最終的には誰が直接指示したのかも曖昧になり、その結果、重大な結果を招いてしまう…

 

太平洋戦争、浅間山荘事件、オウム真理教による地下鉄サリン事件、etc…

みんなそうです。

みんな集団心理における「空気」が引き起こしました。

 

抗えないのです。

日本人には『個』がないから。

学校でも家でも、『個』を尊重する教育を子供たちにしていないから。

 

子供たちが大人たちから教えられることといえば、

 

いい大学に行って、いい会社に就職して、定年まで真面目に勤め上げて、老後は年金をもらって…

 

ということThis is 日本的価値観だけ。

 

それを植えつけられて社会に放り出された子供たちに『個』なんて芽生えるはずがありません。

自分の目の前に起こるイレギュラーな現象に対して、自分で判断する力を持てるはずがありません。

 

今回の件はその典型例だと思います。

 

神戸の校門圧死事件もそうだし、ナチス・ドイツのアイヒマンの事件も似たような現象です。

そこに共通しているのは「真面目さ」と「空気に抗えない“個”の不在」です。

そして、、、

 

 

この亡くなられたホームレスの方が避難所で締め出された方なのかどうかはわかりません。

だけど、もしそうだったら(いや、そうじゃないとしても)、この方は未来の僕らの姿でもあると思えてならない。

 

このまま自己責任社会が浸透し、決められたレールの上からずり落ちてしまった人に救いの手を差し伸べないような世の中だったら、いつ僕らもそういう立場になるかわかりません。

果たしてそれはいいことでしょうか?

 

今回の件はいろんな事を考えさせるきっかけになったような気がします。

 

 

森毅さんはこんな言葉を残しています。

 

 

「上」ばかり向いていては人間がかたよってしまう。

いまの学校で「下」をないもののように考えたり、壁を作ろうとしがちなのはとても危険なことに思う。

学校から落ちこぼれ、はみだしかけている連中の心を知ることはとても役に立つし、とてもおもしろい内容だと思う。

きみは、それから学ぶものがあるはずだ。

 

 

森毅ベスト・エッセイ (ちくま文庫)

森毅ベスト・エッセイ (ちくま文庫)

 

 

 

 

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