シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。北の国でなまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

ソローに学ぶ!お金よりも自由を選ぶことによって得られるメリット


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僕は不労所得を得て生活をしている人間です。不労所得を得る方法にはいくつかありますが、僕がその中でも不動産投資をやっています。

僕は27歳のときに不動産投資をやりはじめ、それからいろいろな物件を買ったり、売ったりをくり返してきました。会社を辞めて独立したのは、37歳のときです。それ以来、僕はずっと家賃収入で生活してます。

僕みたいに不労所得を得て生活している人というのは、日本ではまだまだ珍しい存在です。なんといっても、ここは日本です。「どんな仕事に就いているのか?」「どんな会社に勤めているのか?」…ということがすべてを決めてしまうような国です。

そんな国において、「家賃収入を得て、不労所得を得ています!」などと言おうものなら、白い目で見られます。この国では、不労所得というのは、まだまだ浸透していないのです。

ましてや僕みたいな40代半ばの若さで、不労所得を得て毎日自由にブラブラしてるなんて…。どんな仕事に就いているの? どんな会社に勤めているの?…という2つの概念しかない人にとっては、僕がやっているライフ・スタイルは、まったく理解できないライフ・スタイルなのです。

目次

ニート、フリーター、ひきこもりのヒーロー、ヘンリー・デヴィッド・ソロー

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もし、私もたいていの人たちのように午前も午後も一日中、社会に身を売るようなことになれば、人生は私にとって、もはや何の生きがいもないものになるに違いない

 

これは、アメリカの作家、ヘンリー・デヴィッド・ソロー(1817~1862)の言葉です。ソローは、『ウォールデン(森の生活)』という本が有名ですが、どちらかというとソローの場合、本というよりもソローの生き方、ライフ・スタイルの方が有名なのではないでしょうか。

 

ウォールデン 森の生活 上 (小学館文庫)

ウォールデン 森の生活 上 (小学館文庫)

 

 

最近、いろんなところで話題になっているので、あなたもどこかで見聞したことはあるかもしれません。ソローは、ハーバード大学を卒業すると、いったんは教師になるのですが、学校の教育方針に反発して、すぐに教師を辞めてしまいます。

3年も経たずに会社を辞めてしまう若者が話題にのぼりますが、ソローもそんな若者のひとりだったのです。教師を辞めた後、ソローは「生活のために毎日、働くのは嫌だ」と考えました。

そして、週に2,3日、日雇いの仕事などをほそぼそとやりながら、のんびり過ごす人生を選びました。

そののんびりとした生活の中で、午前中は執筆、午後は散歩をして過ごすようになりました。これなんかは、今でいう「フリーター」みたいなものです。今から100年以上前の話ですよ!

当時は、今みたいな「スローライフ」とか「ダウンシフト」とかという概念がない時代です。そんな中において、ハーバードを出た秀才であるにもかかわらず、ソローは定職に就かず、毎日のんびり過ごす人生を選んだのです。

言うまでもないことですが、まわりからは、変わり者、怠け者、無責任、厄介者、etc…と、思われていたようです。そんなまわりの視線に耐えられなくなったのか、ソローはついに、1845年に森に入っていきました。

ウォーデン池のほとりに小屋を建てて、自給自足の暮らしをはじめたのです。そして、どうしてもお金が必要になったら、その時はまた日雇いの労働をして、生活費をねん出しました。

彼はその静かな森の生活の中で、エッセイを書いたり、川のほとりで大好きなフルートを吹いたり、動物をじっと観察したりして過ごしたそうです。その森での生活が、『ウォールデン(森の生活)』という本となって結実したわけです。

これは、今でいうところの、「ひきこもり」です。外界との接触を絶ち、自分の殻にとじこもる…。さらに、都会を捨てて、森で生活をすることを選んだことは、今でいえば「田舎へ移住する」ということに通じます。

でも、こういう生き方って、すごく大変な生き方です。大人たちが最も忌み嫌う生き方です。子どもたちに、「いちばん、やっちゃいけないこと」と教える生き方です。

一生懸命、勉強しろ。いい大学に入れ。いい会社に就職しろ。そして、定年まで真面目に働け。…大人たちが言っていることは、とどのつまりこういうことです。でも、ソローはこの大人たちの提言に、真っ向から反抗したのです。

要するにソローは、現在「けしからん!」と世間で言われていることを全部、体現しちゃった人なのです。ソローは、僕たちなのです。僕たちのヒーローなのです。

僕もソローと同じようなことを考えた

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ソローが、なぜこのような生活をスタートさせたのか? その直接的な原因はわかりません。一説によると、失恋が原因だったという話もあります。なんらかの心の病を患っていたという話もあります。でも、僕はソローという人物に、そして、彼らが選んだ自由に生き方に、どうしても惹かれてしまいます。

それはなぜでしょうか? なぜ、世間から「変わり者」と思われていた貧しい老人の生き方に、こんなにも注目が集まるのでしょうか? 

サラリーマンをしていた頃、僕は偶然、「かつてソローという人物がこの世にいた」ということを知りました。彼は自由を追い求めて、都会を離れ、森での生活を選びました。そして、自由に、のんびり、自分らしく生き、その生涯を閉じました。

彼はまわりからどんなに変わり者と思われようとも、怠け者と罵られようとも、決してそのライフ・スタイルをやめようとは思いませんでした。彼は週に6日、朝から晩まで真面目に働くだけの人生が耐えられなかったのです。

そんなことに貴重な時間を費やすぐらいなら、貧しくてもいいから、リスを観察したり、エッセイを書いたりして過ごしたい、と考えたのです。それは、まさに僕の考えとまったく一緒です! 

僕とソローを比べるなんて、おこがましいのですが、僕もソローと同じようなことを考えました。さすがに僕の場合、森で自給自足……とまではいきませんが、僕も世間でよしとされていたり、世間の常識とはまるっきり違う道へ進むことを選択しました。

案の定、まわりからは「変わり者」と言われましたが、それでもその道を選択したおかげで、自由と幸せを手に入れることができました。 

あなたはたった1万円のために、制度に身を売るんですか?

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ソローは、「金持ちは必ず金持ちにしてくれた制度に身を売る」という言葉を残しています。

たとえば、年収の高い銀行員がいたとします。僕はアパート経営をやっているので、銀行員の方々とよく接します。彼らはものすごく高い年収をもらっています。おそらく僕の3倍、いや、4倍の年収をもらっているはずです。

でも、彼らには『自由』がありません。ご存じのとおり、銀行員は夜遅くまで仕事をします。帰宅するのが深夜0時をまわることなんてザラだという話もよく聞きます。でも、彼らには「銀行員」というステータスがあります。

コンパに行っても、お見合いをしても、「銀行員です」とひと言言えば、それだけでモテモテでしょう。年収も高いし、安定もしてる。おそらく年金もいっぱいもらえることでしょう。

でも、彼らには自由がありません。僕はお金やステータスなんかよりも、自由の方が大切だと考える人間です。だから、彼らのことを「うらやましい」と思ったことは、ただの一度もありません。

彼らはうちの会社の財務諸表をみています。だから、僕の年収がいくらなのかも把握しています。おそらく、その年収の低さに驚いていることでしょう。「こんなんで、生活できるの?」というようなニュアンスのことを銀行員から直接、言われたこともあります。

でも、それは彼らからみてそう見えるだけ。自分の尺度でしか世の中を見ていないから、そういう言葉が出るのです。もちろん、こちらはお金を借りる立場ですから、何を言われても、どんな失礼な態度をとられても、ニコニコしていますが…。

年収800万円でも「少ない」と思ってる人がいます。年収300万円でも「十分」と思ってる人がいます。その差は、数字だけを見れば500万円という大きな数字になります。だけど、『人生』という大きな尺度で考えてみれば、ごくごく小さなことかもしれません。

500万円を12ヵ月で割ると、月約40万円です。40万円を30日で割ると、1日あたり約1万3千円です。確かに、1日10,000円は大きいです。だけど、その10,000円のために、朝から晩までクタクタになるまで働き、家族にも会えず、神経をすり減らし、ノルマに追われ、人間関係に苦しみ、暗い顔をして毎日を過ごすとしたらどうしますか?

要するに、そのたった10,000円のために、人生を捨てていいんですか? ということです。ソローの言葉を借りれば、「身を売って」いいんですか? ということです。僕はごめんですね! 

もしも300万円でも十分生活ができて、なおかつ、自由な時間があって、家族と過ごす時間があって、こころの平安があって、人間関係のわずらわしさから解放されて、健康的であるなら、僕はそっちの方を選びたい。

年収とか、ステータスとか、社会的信用なんかよりも、そっちの方が幸せではないのか?…僕はそう考えます。そして、おそらくソローもそう考えたのではないでしょうか?

「年収が高い人=幸せな人」「年収が低い人=不幸せな人」というわけではない

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ソローは、数々の名言を残していますが、その中でも僕が最も好きなのは、

 

あなたの生活がいかに見劣りするものであっても、それにまともにぶつかり、それを生きよ。貧しくとも、自分の生活を愛したまえ 

 

…という言葉です。年収800万円だろうが、年収300万円だろうが、そんなことはあまり関係ないのではないでしょうか? たとえ300万円しか年収がなかったとしても、本人や家族がその年収で満足していれば、それでいいのではないでしょうか?

結局のところ、僕たちが墓場まで持っていけるのは、自分の人生がどれだけ満足いくものだったか? という満足感だけなのです。世間的にはどんなに貧しい暮らしのように映ったとしても、それがイコール、その人が不幸せな生活をおくっていることにはならないのです。

年収800万円もあるのに、不幸な人もいます。基準は、人それぞれまったく違うのです。この世が確かに資本主義の世の中です。でも、「年収が高い人=幸せな人」「年収が低い人=不幸せな人」というわけではありません。

僕は家族と食卓を囲み、楽しくいろいろな会話を楽しむ時間が大好きです。それが最も幸せな時間です。若い頃は、金持ちになるとか、ビッグになるとか、有名になるとか、出世するとか、そういうことが幸せだと思っていましたが、それは間違いであるということに気づきました。

人間にとって、いちばんの財産は『時間』だ!…と、僕は思っています。とくに40歳を過ぎてからは、強くそう思うようになりました。

お金とか地位といったようなものは、本当に財産といえるのでしょうか? まあ、確かにそれらも財産かもしれません。でも、いちばんじゃない! いちばんの財産は、時間です。自分の好きなことをする時間、家族と過ごす時間、のんびり、自由に生きる時間、etc…。

だから、僕はなるべく時間を無駄にしたくないと考えて生きています。どんなに立派な集まりやパーティーに招待されたとしても、「あ、つまんないな」と思ったら、すぐ家に帰るようにしています。

一緒にいて、「あ、この人といても時間の無駄だな」と思ったら、すぐその人の前からいなくなるようにしています。仕事にしても、つまらないこと、くだらないことは引き受けません。

僕にはそれを選ぶ自由があります。その自由を獲得するために、僕は闘ってきたのです。死に物狂いで…。そして、その自由を僕は獲得することに成功したのです。あとは僕の自由にやらせてもらいます! 自分の好きなように時間を使わせてもらいます!