シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。北の国でなまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

スピリチュアルとはほどよい距離間が大切!という話


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いつまで経っても満たされることなく、『足るを知る』ということを知らない状態ほど恐ろしいものはありません。人間の欲望には際限がありません。いったんこのループにハマってしまうと、抜け出すのは非常に困難です。

知らず知らずのうちに、お金の魔力に憑りつかれて、気がついたときには、すべてを失っていた…そんな人が後を絶ちません。

たしかに、行きすぎた拝金主義には注意をしなければならないでしょう。資本主義という魔物は、僕らが想っているよりも手ごわく、そして狡猾です。気をつけなければカンタンに足元をすくわれることになってしまいますよ。

だから僕はそういった資本主義に足元をすくわれないように、普段から意識して生活しています。お金の欲望に身も心も持っていかれないように注意して暮らしています。

ただ、物質的な豊かさをまったく追求しないというのもなんだか随分、極端なような気がします。何ごとにも、『ほど』が大切です。バランス感覚が大切です。物質的なこと、経済的なこと、金銭的なこと、etc…。そういうものを嫌うあまり、極端な方向へ行ってしまう人もいます。

…それもどうなんでしょう?

最近、僕が気になっているのは、お手軽なスピリチュアルよろしく、極端な精神性を求めようとする動きです。グローバリゼーションの嵐が吹き荒れるなか、アメリカ型マネー原理主義への反動もあるのだと思いますが、これまた極端な方向へ行ってしまうのも危険なことだと僕は思っています。

行き過ぎた精神主義や神秘主義。…僕は最近、これがいたる所で進んでいるような気がして、ちょっと気になっています。ただ、ひと口に『精神主義』『神秘主義』と言っても、いろいろあります。だから、一概には言えません。

僕はリアルタイムでオウム事件を経験しました。1995年のことです。あれを経験した世代としては、最近の人々の(とくに若い人の)意識の変化が妙に気になっています。あれからもう20年以上の歳月が流れているのです。

目次

極端な精神主義も、行き過ぎると危険になる

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僕は確かに精神的な豊かさというのは、とっても重要なことだと思います。どんなにお金を持っていても、やっぱり愛情に飢えていたり、欲求不満や、ストレスだらけの毎日のおくっていたら、それはそれで不幸だと思います。

だから、人々が心の平安を求めたり、精神的な満足感を得たいと思ってスピリチュアルや宗教に救いを求める気持ちはわからなくはありません。僕だって、ヒッピー・カルチャーを経由して、多少はニュー・エイジ的な思想に影響を受けています。

若い頃、僕も「にわか」ながら、精神世界の本を読みあさっていた時期があります。主にニュー・エイジに関する本が多かったのですが、そこから禅に行ったり、キリスト教に興味を持ったりもしました。

『ライフ・オブ・パイ』という映画がありましたよね。あの映画の冒頭で、主人公の少年がいろんな宗教に興味を持ち、いろいろな宗教を渡り歩いてみる場面があります。ちょうど僕もそんな感じでした。アイデンティティを探していたのです。

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僕も空想するのは大好きですし、あの世とか、天国とか、輪廻とかについて想いを巡らせたりすることは、ある一面においてはとっても大切なことだと思います。しかし、そのことと、精神世界にどっぷり漬かって、全権委任してしまうこととは別です。

あくまでも『いつでも戻って来れる。』という状態をキープしたまま、あちらの世界に行ってみるのはいいでしょう。しかし、行ったっきり帰って来れなくなってしまった。…ということにならないように注意しなければなりません。

何ごとにも『ほど』が大切です。ほどほどに生きることがいちばんいい生き方です。極端はいけません。精神的な豊かさを求めるあまり、本来なら立ち入るべきない領域にまで立ち入ってしまう人があとを断ちません。

あなたのまわりにもいませんか? そういう人…。そういう人は、精神的な安らぎを求めに行ったはずなのに、逆に精神を病んでしまったり、怪しげな宗教団体に入ってしまったり、etc…いろいろケースがあります。

昨今のスピリチュアル・ブームに水を差すつもりはまったくありませんが、「気をつけるに越したことはないよ!」というのが僕の意見です。とくに若い人は、そういうものに免疫がありません。十分に注意しないと、カンタンに騙されてしまいます。

金の亡者になることも確かに危険なことです。だけど、心の亡者になることも相当、危険なことなのです。それによって人生を棒に振ることになった人がこれまでに何人いたでしょうか?

オウム事件。あれはいい意味でも悪い意味でも、僕らの年代の人の心に深く刻み込まれている事件です。あれも見方によっては、心の亡者たちが極端な思想を持ったことによって引き起こされた大事件といえます。極端な精神主義って、とってもおっかないんです!

あのときの教訓を生かすためにも、僕たちは常にそういうものに注意を払わなければいけません。とくに世の中が乱れ、人びとが不安に苛まれるようになると、そういったものたちが跋扈するようになります。これは、いつの世でもくり返されてきたことでもあります。

僕は何も、精神世界のことを全否定したいわけではありません。僕自身もちょっとは興味のある世界です。でも、僕は特定の宗教団体に所属しているわけではありませんし、これから先も所属するつもりはありません。

その辺りでウロチョロはするかもしれませんが、そういったものに白紙委任状を渡すつもりはありません。でも、そういったものを必要としている人たちがいることも十分理解しています。ある種の人にとって、それはどうしても必要なもの。『なくては生きていられないもの。』なのです。

僕はそういう人のことを悪く言ったり、バカにしたりしたくはありません。僕だって、きっと何かに救済を求めているんです。それがたまたま宗教とか、スピリチュアルなものじゃないだけであって…。

人が信仰を持つことは何も間違ったことではありません。そして、なんびとたりともその人間の信仰心というもの妨げてはいけません。だけど(くり返しになりますが)、何ごとにも『ほど』が大切です。あまりにも非現実的なものだけで日常を塗り固めてしまうのは、ちょっと危険すぎやしないでしょうか?

人間の欲望には際限がありませんから。

「精神的自己破産」に陥らないように、注意しよう!

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「もっと! もっと!」という人間の欲望。これをコントロールすることは非常にむずかしいものです。お金のときと同様に、心や精神もこの「もっと! もっと!」に注意しなければなりません。

地べたに足をつけ、しっかりと生活に根を下ろして生きなければ、僕らはカンタンに『あちらの世界』に行ってしまいます。もっと俯瞰した目で世の中のことを見ましょう。そして、つねにニュートラルな立場でいるように心がけましょう。

人が生きてゆくうえで、「お金」はなくてはならないものです。僕たちはやっぱり、そのお金によって支えられてる部分もあるのです。お金はいつも悪者になりがちです。でも、僕はそういうお金に対する極端な嫌悪感のほうが危険なことだと思っています。

僕も贅沢三昧するセレブな連中を見ると、イラッときてしまいます。だからといって、お金というものをまったく毛嫌いするのも、ちょっと極端なような気がします。僕たちは資本主義の世の中で生きていかなければならないのです。だとするならば、お金というのはずっとついてまわる問題なのです。

僕らはお金を得ることによって、アパートの家賃を払ったり、服を買ったり、携帯電話の料金を払ったりしているのです。僕たちは世捨て人のような生活をおくることはできないのです。

洞穴のなかで寝泊まりして、自給自足の生活をおくるわけにはいかないのです。

バブル期の日本も極端でした。しかし、オウムも極端だったのです。僕たちはどちらにも与しないで、バランス良く生きなければいけません。精神世界に生きる人たちは『世俗にまみれた』と言うかもしれませんが、自分のまわりを純度100%な精神的なものだけで塗り固めてしまうのも問題だと僕は思っています。ときどき、そういう人いますが…。

僕たちはどこまでいってもこの世界のなかで生きていかなくてはいけないのです。もちえろん、この世界で生きることはカンタンなことではありません。競争もあるし、イヤな奴だっています。テレビのニュースもつければ、目を覆いたくなるようなニュースばかりです。

だけど、それでも僕らはこの世界で生きてゆくしかないのです。ここ以外のどこにも僕らの生きる世界はないのです! 僕らはここで生き、もがき、苦しみ、ときどき幸せを感じ、ときどき喜びを感じ、そして、死んでゆくのです。それが、僕たちの人生なのです。

やたらとスピリチュアルな話をしたがる人には気をつけろ!

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やたらと精神世界の話をしたがる人がいます。やたらと金の話をしたがる人と同じくらい、僕はこう言う人が苦手です。

僕はこれ見よがしにメルセデスを運転し、トランクにはゴルフ・バックを積み、腕にはロレックスをはめ、夜な夜な繁華街に繰り出しては、クラブのお姉ちゃんを口説いているのような世俗にまみれた人間が大嫌いです。

でも、それと同じように、部屋にお香をたき、瞑想し、精神世界の書物を読みふけり、それ風な格好をし、心を閉ざして外界をシャットダウンしているような連中も嫌いなのです。

『足るを知る。』というのは、何も物質的なことだけではありません。精神的な意味でも、足るを知った方がいいと思う人が、この国にはたくさんいるのです。