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シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。本当の豊かさは高い収入でもモノでもなく「自由な時間だべや」という信念のもと、なまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

競争がない世界に行きたいと思わない?不毛な闘いから脱出する方法


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今回は「勝ったとか負けたとかなんてくだらないこと。そんなに一喜一憂しないで自分らしくもっと自由に生きた方がいいよ!」という話をしたいと思います。

目次

今の僕は「競争のない世界」にいる

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セミリタイア生活を送るようになってつくづく思うのは「オレは何かっていうと競争してばかりいたなぁ…」ということです。

僕は今、働き盛りの普通の40代男性ではおよそ考えられないくらい自由な毎日を送っています。

不動産投資がそんな夢のような暮らしを実現させてくれました。

でも、こんなのんびりとした毎日を送っている今の僕からは想像もできないくらい、サラリーマンをしていた頃の僕は競争に明け暮れていました。

今ならわかるんです。

経済的にも精神的にも、満たされていなかったからです。

だから闘わずにはいられなかった。

誰かと競い合うことでしかアイデンティティを確立することができなかった。

自信がなかった。

いろんな意味で未熟で、無知でした。

「競走」って不毛じゃない?

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みなさんのまわりにもそういったかつての僕のようなタイプの人間が一人か二人、いらっしゃるのではないでしょうか?

四六時中、ガツガツしている人。

「勝ち負け」に異様にこだわる人。

余裕がないんです。

焦っているんです。

それを「男らしい」と取るか、「哀れ」と取るかはその人次第。

いずれにしても、自由気ままな毎日を送る僕に言えることは、

  • 勝ち負けのない世界の方が圧倒的にラクっしょ!

__ということです。

勝ち負けの世界は疲れる世界です。

自分が勝っても負けても、あまりハッピーじゃない。

勝ったら勝ったで「次も勝たなければ!」というプレッシャーに苛まれるし、負けたら負けたで「チクショー!なんで勝てないんだ!」という劣等感に苛まれる。

  • どうしてこんな不毛なことをしなければいけないんだろう?

__僕はある日、そのことに気づきました。

僕たちが競争し合うことでいちばん喜ぶのは誰か?

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たとえが適切かどうかわかりませんが、「勝った」とか「負けた」とかで大騒ぎするというのはローマ時代の剣闘士(グラディエーター)みたいなものじゃないですか?

王様や皇帝、貴族たちは高いところから僕らが死に物狂いで闘うのを見物しているだけ。

勝っても負けても傷つくのは僕たちの方です。

僕はその根本的な疑問にたどり着いたんです。

  • どうして僕はあの高みの見物ができる場所に行くことができないんだろう?
  • 僕があそこの位置に行くことは本当に無理な話なんだろうか?

__と。

会社の壁に張り出される営業成績表。

あれにすべてが集約されています。

僕が一生懸命がんばって営業成績がトップになる。

それをいちばん喜ぶのは実は僕じゃないんです。

社長です。

僕が死に物狂いでライバルのA君やB君と営業成績をめぐってバトルをすれば、会社の売上はアップしますからね。

本当の意味で「おいしい想い」をするためには不毛な戦いに明け暮れていたらダメなんです。

高みの見物ができるような位置に行かなければいけないんです。

散々誰かと競い合い、身も心もすっかりボロボロになった僕はようやくそのシンプルな真実にたどり着くのです。

これからは『競争』ではなく、『競生』の時代

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僕たちは子供の頃からまわりの大人から「競争しろ」「競争しろ」と言われて育ちます。

そんな風にまわりに言われ続けていたら、

  • 競争に勝たなければ意味がない
  • 競争に勝てない自分には価値がない
  • 勝つことだけが人生のすべて
  • 負けた奴はダメな奴
  • etc

__という価値観を心の底から信じるようにだんだんなっていきます。

かつての僕のように。

でもどうして競争する必要があるのでしょうか?

競争して勝った自分だけが素晴らしく、負けた自分は本当にダメなのでしょうか?

そもそも何をもって「勝った」とか「負けた」という判断ができるのでしょうか?

マッチョな競争原理だけでうまくいく時代は終わったと思っています。

僕はビジネスの世界に身を置いています。

ビジネスの世界は(というか資本主義は)まさにこの『競争原理』によって成り立っている世界です。

だけどそれももう限界に達してるのではないか?と僕は思っています。

水野和夫先生の素晴らしい本、『資本主義の終焉と歴史の危機』でもそのことは書かれています。

ぜひ一度読んでみてほしい。

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

 

 

競争だけやってればうまくいくような時代はもう終わってしまったんです。

ライバルを蹴落とすことだけに終始するようなビジネスや、マーケット・シェアを取り合うタイプのビジネスはこれからますますキツくなってゆくと僕は思っています。

これからは『競争』ではなく、『競生』の時代です。

でも未だに多くの人は旧態依然としたスタイルを手放せないままでいます。

まとめ

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僕は誰からも賞賛されなくてもいいと思っています。

No.1にならなくてもいい。

リスペクトもいらない。

そもそも誰かに勝ちたいとも思わない。

競争したい人は勝手にすればいい。

でも、僕はやりたくない。

もう「勝った」とか「負けた」といったくだらないことで悩みたくないんです。

だから僕はリスクを背負って投資の世界に飛び込みました。

そしてゆっくりのんびり生きることができるセミリタイア生活を手に入れました。

競争のない世界はラクでいいですよ!

 

インドの哲学者、ジッドゥ・クリシュナムルティはこんな言葉を残しています。

 

あなたは自分自身が暴力的でなく、毎日平和な生活、競争も野心も羨望もない生活、敵意を生み出すことのない生活を実際に送っていれば、世界に対して大きな影響を与えることができる。

 

経済は「競争」では繁栄しない

経済は「競争」では繁栄しない