シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。北の国でなまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

人生には引きこもる時期があってもいいと僕が思う理由


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毎年、シュウカツがニュースになります。「3年で会社を辞める若者」も話題に上ります。今、多くの若者たちがジレンマを抱えています。『社会に出て働く』ということが、いまひとつ納得できていないのです。

もう40歳をゆうに超えたおっさんになっちゃったけど、僕はそんな若者たちの気持ちが痛いほどよくわかります。僕はかつては典型的なモラトリアム人間でした。

モラトリアムや、ニートは世間的にはよくないこととされていますよね? だけど、本当にそうでしょうか? 僕は若者たちにはもっとモラトリアムになってもいいと思っています。ニートでも構わないと思っています。

なぜそんな風に僕が思うようになったのか?…今回の記事ではその辺りについて書いてみたいと思います。

目次

若者たちは「もっと自由に生きてもいい」と僕が思う理由

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『大学を卒業したら就職して、あとはがむしゃらに働いて、65歳になって定年退職する。』…それが人間として生きる最良の道だとしたら、なんと味気ない人生でしょう! 

せっかく自由を謳歌することができる時代に運よく生まれることができたのです。その権利を行使しなくちゃ自由に生きることが許されなかった昔の人たちに申し訳ないと思いませんか? 彼らがどんなに「自由に生きたい」と切望したことか…。

『自由に生きる』なんて概念はそもそも彼らの時代にはなかったのです。でも、今は違います。その気になりさえすれば、人はどこまでも自由に生きることができるのです。こんなに恵まれていて、こんなにチャンスがあるのにそれを追い求めないなんて…。これほど罪なことはありません。

僕はもっともっと人は自由に生きるべきだと思っています。とくに若い人は自由に生きる権利も義務もある。…と思っています。

自由に生きるためには、ある程度の「モラトリアム期間」というものが必要になります。ゆっくり音楽を聴いて、ゆっくり映画を観て、ゆっくり本を読んで、ゆっくり恋をして、ゆっくり自分と向き合って、ゆっくりいろいろなことを考えて、etc…。

…そんな自由な時間を大切にする人がもっともっと増えればいいなと僕は思っています。

モラトリアムな若者ってそんなに悪いことなのか?

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モラトリアムはたんなるグータラではありません。それは何かを生成する「サナギの期間」です。学校を卒業したら、まっすぐ会社に就職して、あとは死ぬまで真面目働く。…本当にそれが幸せな生き方なのでしょうか?

人生には『謎』なんてない。何かを探究する必要もない。何かを追い求める必要もない。どんな会社に就職し、給料はいくらもらい、どれくらい出世し、退職金はいくらもらうか?…それが人生のすべて。本当にそれでいいのでしょうか? 本当にそういう生き方が幸せな生き方なのでしょうか? 

僕は社会に出て「成功する若者」が増えるのではなく、社会に出て「幸福になる若者」がもっと増えればいいなと思っています。

ニートやひきこもりでもいい!

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僕は極端な話「ニートでも全然OK」だと思っています。もしも経済的に余裕のある家に生まれたのならば、その恩恵にあやかって、積極的に親のスネをかじっても構わないと思うのです。

ある一定の時間、世間からまったくかけ離れた場所から、『社会』というものを眺めることも僕は立派な社会勉強だと思っています。ただし、「一生ずっと」では困ります。きっちり猶予期間を設けることが条件です。

なぜ僕がそんなふうに思うのか? といえば、僕自身がモラトリアムの経験があるからです。そして、そのモラトリアムを経験をしたことにより、『人生が豊かになった!』…という実感があるからです。

人生のなかで「ある一定のひとまとまりの時間を持てる」ということは非常に幸運なことです。モラトリアムは、人に「世の中をちょっと違う角度から眺める」という視点を与えます。そして、その視点こそが人生を良い方向に導くための『道しるべ』となるのです!

僕の場合でいえば、それが「脱サラして、起業する」という道につながったのです。一直線にまっすぐ生きるだけが人の一生ではありません。時には寄り道や、回り道をしてもいいんです。

自慢じゃありませんが、大学時代の僕は絵に描いたようなモラトリアム人間でした。本と、音楽と、映画漬けの三流大学生でした。将来のこととか社会人になってからのことなんてまるで考えていませんでした。

そんな僕でも今こうして「会社の社長」なんてものをやっていたりします。当時の僕に比べたら、今の若者たちの方がはるかにマシです。僕はもっとだらしなく、もっと弱々しく、もっと情けない人間でした。

もう少し彼らにモラトリアムをさせてあげましょう! 「モラトリアム」なんてなかなかできることじゃないんですから…。

 

  • モラトリアムってどういう意味?

モラトリアムとは、青年期によくみられる心理現象です。この時期は「アイデンティティ」を確立しようと必死でもがく時期でもあり、「自分さがし」をする若者が次から次へと出てくる時期でもあります。

不安とうっ屈した気持ちを抱え、「本当にこのまま社会に出ていいのだろうか?」という素朴な疑問にぶち当たる時期です。学生と社会人とのあいだで揺れ動き、「ある一定の猶予期間がほしい!」と思うようになります。

そのような猶予期間のことを『モラトリアム』といいます。まあ、いわば「大人になることの引きのばし期間」のようなものですね。

現代の若者たちはかわいそうだと僕が思う理由

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現代の若者たちを見て確かに「頼りないなぁ…」と感じることはあります。だけど、同時に彼らのことがときどき気の毒に思うことがあります。子どもの頃から親に無理やり塾に通わされ勉強勉強の毎日。

厳しい受験戦争をくぐり抜けて、晴れて、「自由なキャンパスライフを…」なんて想像していたら、やれキャリア教育だ、やれ英会話だ、やれコミュニケーション能力だ、やれプレゼンテーション能力だ、やれリーダーシップだ、etc…。「スキルアップ」と称して次から次へとやらなきゃいけないカリキュラムがびっしくりとスケジューリングされています。

社会人になったらなったでちょっとでも弱音を吐けば、やれ「草食系」だ、やれ「ゆとり世代」だと揶揄されます。公務員や大企業などに就職できた若者はまだいいのかもしれません。だけど、そうじゃない人(圧倒的にこっちの方が多いのですが)は厳しい現実に直面し、一気に面を喰らうことになります。

「オレの人生はいったい何だったんだろうか?」「オレは一体、何のために一生懸命勉強してきたんだろうか?」「こんな人生をおくるためにオレは生まれてきたんだろうか?」…こんな状況では、そんなふうに考える若者がたくさん出てきてもちっとも不思議ではありません。

僕はもう少し彼らに「余裕」を持たせてあげた方が良いのではないだろうか? と思っています。世間的には「若者はもっと厳しくし鍛え上げろ! ビシビシ指導しろ!」という勇ましい声も耳にしますが、僕は逆だと思っています。