シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。北の国でなまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

同調圧力に負けるな!優先させるべきはまわりの声ではなく、自分の声


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もしも僕たちの人生というものが、ただ仕事をするだけのものだったとしたら? ただ住宅ローンを払うだけのものだったとしたら?…これほど味気ないものはありません。でも、多くの人はそんな味気ない人生を歩むことには積極的だけど、エキサイティングな人生を歩むことには消極的なように僕の目には見えます。

そのことを僕は脱サラして起業するときに嫌というほど感じました。40歳を前にして、それまでのキャリアを捨てて自分のやりたいことをやる、という決断をしたとき、僕は散々まわりから攻撃されました。

「お前はバカだ」「マヌケだ」「無責任だ」「けしからん!」と…。なぜあそこまで責められたのかといえば、それはきっと僕が取ろうとした行動が彼らの想像力を超えていたからだと思います。

僕たちは知らず知らずのあいだに、ルールに縛られて生きるようになります。「そんなことしたら、おかしい」「それはありえない」「そんなことする人は今までいなかった」「そんなことを言ったら、ダメ」etc…。

僕たちはいろいろなルールを自分たちでつくり、その自分たちでつくったルールのせいでがんじがらめになっているのです。家庭、学校、会社、近所、コミュニティー、人間関係、etc…。そのルールを叩きこまれる場所は、いたるところにあります。

目次

なぜ多くの人は自分の声ではなく、まわりの声を優先させてしまうのか?

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人間は社会性を帯びた生きものですから、どうしても「まわりのひと」を意識してしまいます。誰かと一緒にいなければ不安になる気持ちはよく理解できますが、でも、本当に優先すべきなのは『自分の心の声』です。

「普通はこうだよねー」「これが常識でしょ」「一般的にはこうだ」といったような言い方には気をつけた方がいい。僕のこれまでの人生をふり返ってみても強くそう思います。

自分の声を無視してまわりの声を優先すると、まず、ろくなことにはならないのです。「変わり者」と思われたくないという気持ちはわかります。でも、まわりから変わり者と思われても実際は幸福なのと、まわりから変わり者と思われなくても実際は不幸なのとでは、あなたはどちらを選びますか?

僕が毎日、変わり者扱いされていますよ! 最初の頃はそれは結構ストレスだったけど、今はへっちゃらになりました。だって、僕は何ひとつ悪いこともしていないし、「自分は間違ってない」という自信もありますから。

それがまわりの人に理解されていないだけ。僕は自分が幸せであることを優先させたいんです。そして、そういった意味で言えば、僕はサラリーマンをしていた頃よりも圧倒的に幸せになっています。だから、OKですよね? 

同調圧力に屈服するな!

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40数年生きてきて、つくづく思うことがあります。何がいちばん恐ろしいかといって、「何かに依存して生きる」ことほど恐ろしいことはありません。

まわりと同じように生きることを強要され、それに大人しく従っているうちはまわりも何も言いません。みんなニコニコしています。ところがそれに反発したり、疑問を呈したりした場合、この国では一気に反転してしまうような怖いところがあります。そして、寄ってたかってそいつを袋叩きにして、完膚なきまで叩きのめすのです。

社会にはルールがあり、そのルールに従わない者は容赦しない…というわけです。

この集団心理は学校でも、家庭でも、会社でも、地域社会でも、どこでも見られる光景です。さらにこの心理が国家という大きな枠組みにまで発展してしまうことすらあるのです。

このような同調圧力が高まり過ぎると、多くの人は何も言わなくなります。そして、しまいの果てには何かに依存するようになります。何かに依存し、それに従っていれば、少なくともその間はわざわざ何かを考える必要はありません。自分が傷つくこともありません。

でも、それではいつまで経っても自立した人間にはなりません。今、日本のあちこちで起こっている様々な問題は、どうもこの辺りが源流となっているような気がしてならないのです。

あなたは実は何かに依存してはいないだろうか?

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このような依存体質に慣れきってしまうと、生活のあらゆる面で何かに依存してしまうようになります。ご飯も自分で作ろうとしなくなり、コンビニやデリバリーで済ませてしまうようになります。

ちょっとデパ地下に行ってお金を払えば、わざわざ自分で手間ひまかけてつくらなくても、誰かが手間ひまかけてつくってくれた惣菜を買うことができます。その惣菜のクオリティーは、おそらく自分でつくるよりも高いものでしょう。

服もお金を払ってクリーニングに出せば、翌日にはキレイな状態でできあがっています。お金の相談、法律の相談、そして人生相談、etc…ありとあらゆる相談窓口が設けられているので、わざわざ自分で本を読んだりして調べる必要もありません。

心がちょっと落ち込んだら、すぐそこにメンタル・クリニックもあります。一人でさびしくなったら、結婚相談所に登録をすれば、誰かと結婚できるかもしれません。

…僕たちはこのような生活を「便利になった! 便利になった!」と言って、大騒ぎして喜んでいます。でも、これって本当に喜ばしきことなのでしょうか? その便利さと引き換えに、僕たちは何かに依存してしまってはいないでしょうか?

依存症の恐ろしいところは、自分はもうすっかり何かに依存してしまっているのに、「オレはコントロールできる」と思い込んでいることです。

多少面倒かもしれませんが、多少遠まわりかもしれませんが、自分で調べて、自分で考えて、自分で結論を出した方がいい場合もあります。そのほうがはるかにエキサイティングで、充実した人生をおくれるはずなのに、そういった選択肢を取ろうとする人はほとんどいません。

多額の住宅ローンを平気で組もうとする人とは?

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豊かさや幸せの象徴は、『家(マイホーム)』だと多くの人が思っています。そしてその家は、大きければ大きいほどよく、広ければ広いほどいいと思われています。

大邸宅、広い庭、土間コンクリートでつくられた立派なインターロッキング、3~4台平気と停めることのできる大きな屋根付きカーポート、etc…。多くの人たちは、これらのもののために多額の借金をします。銀行も住宅ローンを借りようとする人には喜んでお金を貸します。

なぜ、銀行はそういう人たちに喜んでお金を貸すと思いますか? 彼らは絶対に毎月の支払いを滞納したりしないからです。なぜ、彼らは毎月の支払いを滞納したりしないと思いますか? 滞納してしまうような不安定な状態に身を置いたりしないからです。

なぜ、彼らは不安定な状態に身を置いたりしないと思いますか? 脱サラして起業したりするようなアホな真似はしないからです。

なぜ、彼らは脱サラして起業したりしないと思いますか? 彼らが自分の心の声ではなく、まわりの声の方を優先させて生きているからです。

そんなに大きな家って、本当に必要ですか…?

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たしかに広くて美しい家に住んだら、それなりの満足感は得られると思います。だけど、その満足感と引き換えに失ってしまうものがあるとしたら、どうでしょうか? 

こうした家のために1億円といった借金を平気で組める人というのは、よっぽどのお金持ちか、物事をきちんと考えてない人のどちらかだと思われます。「ステータス」という言葉を彼らは使うかもしれませんが、そのステータスのおかげでどれだけ不自由な人生をおくらなければいけないことになるか、彼らはきちんと考えたのでしょうか?

もしも彼らがお金持ちじゃなく、そういった大豪邸も「無理して手に入れたもの」であったら…。彼らの人生は、もう一生そこから動かないでしょう。

住宅ローンの支払いは、何十年も続きます。住宅ローンの契約書にハンコをついた瞬間、もう彼らはそこから逃れられなくなります。後はもうただがむしゃらに働き、せっせせっせと借金を返済してゆくだけです。もうこれで簡単に会社を辞めて転職したり、自分で事業を起こしたりすることはできなくなってしまいました。

どんなに職場の人間関係が最悪だったとしても、黙ってそれに耐えるしかありません。彼らが抱えているのは借金だけではありません。家を所有するからには、銀行への利息、固定資産税、火災保険などもかかってきます。

数年に1回は外壁や屋根を修繕しなければなりません。修繕するとなると、修繕費もかかります。もしも対象の物件がマンションだったりなんかしたら、もっと大変です。利息、固定資産税、火災保険料のほかに、管理費や修繕積立金、駐車料金なども毎月とられてしまいます。

それらのお金が毎月ポンポンポンポンあなたの財布から消えてゆくのです。…これってステータスですか? 豊かさですか? 幸せですか? もしも使ってない部屋があったら、その使ってない無駄なスペースにまであなたはお金を払っていることになるのです。

もしも最初からそんなに大きくて広いものを求めなければ、無駄な出費をする必要はなかったのに…。

そんなに広い敷地じゃなくても良かったのでは? 部屋数もそんなにたくさん作る必要はなかったのでは? ガーデニングもやらないのに、そんなに大きな庭にする必要がなかったのでは? 平屋じゃダメだったのか? トイレも2つも必要だったのか? オール電化にこだわらなければ良かったのでは? 

持て余すだけなのに、なぜリビングをこんなに広くしてしまったのか? そもそも、坪単価が異常に高いのに、なぜこのエリアの土地を購入してしまったのか? 中古じゃダメだったのか? 賃貸じゃダメだったのか? 

僕たちは、いったい何に依存していたのだろうか…? 僕たちは、いったい何におびえていたのだろうか…?