シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。北の国でなまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

居心地のいい場所から離れる勇気があなたにもたらすリターンについて


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『幸せな暮らし』という言葉を聞いて、あなたはどのようなことをイメージするでしょうか? こんなところでしょうか…

いい大学を出る→いい会社に入るか、公務員になる→真面目に働く→30歳を過ぎたあたりに結婚する→子どもが生まれる→35歳頃に2人目の子どもが生まれる→家族が増えたので、ワン・ボックス・カーを新車で購入する→家族が増えたので、郊外に一戸建てのマイホームを建てる→そして、とにかく定年まで真面目に働き続け、住宅ローンを払い続ける→65歳を過ぎたら、年金で悠々自適に暮らす、etc…。

まあ、かなり大ざっぱな書き方をしましたが、だいたいこんな感じではないでしょうか? こういった人生設計に僕は何も異議を申し立てるつもりはありません。僕だって、ついこの前までは「人生というのはこんな感じに過ぎていくんだろうなー」と漠然と思っていました。

まあ、これがいわゆる『普通の暮らし』というやつなんだろう、と。普通の暮らしは何も悪いことではありません。ただ、それはあくまでも選択肢の一つに過ぎません。

よく考えてみたら、選択肢は一つである必要はないのです。人の生き方には無数の選択肢があってもいいのです。一つの選択肢に縛られている方がおかしいのです。

ところが、人生があまりにも順調に過ぎていきすぎると、ついつい一つの選択肢に縛られがちになってしまいます。若いうちにうまくいきすぎると、余計に厄介です。なかなかその小さな箱から出てこれません。

そこから「違う道を模索しよう!」なんて気は起きなくなるのです。ほかの選択肢のことをいっさい考えず、「これしかない!」とばかりに限定的な生き方をすることは、なんだかもったいないような気がするのです。

そういう生き方は視野をどんどん狭くします。やがて人間としても魅力のない人間になっていってしまいます。発想もとぼしくなり、「いざ!」という時の適応能力もなくなってしまいます。

そういう風になったら、いちばんマズイと僕は思うのです。

目次

今いる環境が心地よかったら、「そこから飛び出していこう!」という発想にはならない

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環境が人間をつくる』という言い方があります。これは言い得て妙だと思います。

あまり良くない家庭環境で育った人は、社会人になってもどこか不安定です。セレブな環境にいる人は、やっぱり貧乏な人たちの中にいたら居心地が悪く感じるでしょう。

勉強ができる人は、勉強ができない人たちの中にいたら落ち着かないはずです。体育会系バリバリ会社で営業をやっている人は、のんびり・ゆったりと仕事に耐えられません。

知らず知らずのうちに、僕たちは『自分に合った環境』というものを選択しているのです。その環境が自分にとって、「居心地がいい場所」だからです。

一つの環境を選択するということは、ほかの選択肢を排除するということなのです。

本当は商売の才能に恵まれているのかもしれない。本当は世界でいちばんおいしいパンをつくれるかもしれない。本当は宇宙物理学博士になれるかもしれない。本当はハリウッド・スターになれるかもしれない。

…そんな可能性をいくら秘めていたとしても、『サラリーマン』という環境に身を置き、そこに居心地に良さを感じていたら、死ぬまで自分の才能に気づくことはないでしょう。

そうやって僕たちは自分のなかに眠る可能性を、自ら捨て去りながら生きているのかもしれないのです。だから、あまり居心地が良すぎるというのも困ったものなのです。そして、もしも20代や30代でその「居心地のいい環境」というものを手に入れてしまったら…。もう残りの人生は決まったようなものです。そこからおもしろい人生の展開は望めないでしょう。

「もっと上を目指してやるぞ!」「いつかここから抜け出してやるぞ!」「今に見てろよ!」…そんなハングリー精神は宿ったりしません。そりゃそうでしょう! ハングリーじゃないんだから、ハングリー精神が宿るはずもありません!

若くして「居心地のいい環境」を手に入れることは本当にいいことなのだろうか?

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幸せになることはいいことです。不幸のまま一生を終えるなんてイヤです。だけど、若くして何もかも満たされているという状態が果たして本当にいいことなのか? といえば、それはそうとも言い切れないような気がします。

「30代でマイ・ホームを建てて、家族4人で平和に暮らす」というのは、誰もが憧れる典型的な幸せな姿です。

庭には青々と生い茂り、カーポートには車が2台。週末には近所の人を招いてBBQ。

郊外型の新興住宅地の場合、隣近所に住んでる人たちはみんな似たような人たちです。似たような年収。似たような職業。似たような家族構成。似たような価値観。似たような生活リズム。似たような考え方、etc…。

僕は何もそれが「悪い」と言ってるわけではありません。そうではないのですが、その環境に居心地の良さを感じてしまったら最後、『人生はもう決まったようなもの』ということを自覚しておくべきだと思うのです。

もうそこから脱サラして、パン屋を開業する人はほとんどいないでしょう。家族を連れてハリウッドに移住しようとする人もいないでしょう。会社を辞めて大学院で勉強しようとする人もいないでしょう。

生活費、光熱費、食費、教育費、住宅ローン、マイカーローン、将来のための貯蓄、etc…。そういったものを稼ぐためには、働かなければなりません。宝くじでも当たれば話は別ですが、そんなことはまず起こりっこありません。

夢なんか追いかけている場合ではないのです。人はそのようにして大人になっていきます。人はそのようにして年老いてゆくのです。それが人間の一生なのです。

人生には『謎』なんかないのです。生活費を稼ぐために、黙って働けばいいのです。余計なことは考えなくていいのです。

65歳になれば、年金暮らしが待っています。それまでに住宅ローンを完済していれば、それでいいのです。人はそうやって年老い、そして死んでゆくだけの存在なのです。

何かに挑戦したり、夢を追い求めたりする必要なんかないのです。脱サラなんて、バカげたことを考える必要なんかないのです。芸術なんてやったって、一銭にもなりません。

脱サラして失敗した人はたくさんいます。みんな居心地のいい環境を捨てて、飛び出したから失敗したのです。黙って大人しくしていれば、良かったのです。余計なことをしたがために、苦しむことになったのです。そこにとどまっていれば、良かったんです。

…。

…本当にそれでいいの?