読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。北の国でなまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

悪口もとらえ方ひとつですべてが変わる!【体験記あり】


f:id:orange345:20170326155314j:plain

あなたは誰かから悪口を言われたり、批判されたりした経験はありますか? もちろん、ありますよね。人間、生きていれば誰だって、悪口や批判のひとつやふたつは経験するものです。

僕もいろんな人から、いろんなことを言われましたよ。そのほとんどが笑って済ませる類のものなのですが、なかには胸にグサッと突き刺さるものもありました。そして、ときどき、そのせいで心が疼いたりします。

誰だって、否定的なことを言われたりするのは嫌なものです。あなたは、これまでにどんなことを人から言われましたか? 僕が最近、言われたのが、「子どものことを全然、怒らない!」という批判です。

これは、子どもが通っているスポーツ少年団の親から言われました。その人は、「たとえ子どもであろうと、試合に勝つために、もっとビシビシ厳しくすべきだ」という考えの持ち主でした。そして、もしも子どもが何かしでかしたら(たとえば、試合中にきちんと応援をせずに笑っていたりしたら)、その子の親がガッツリその子のことを叱りつけるのが当たり前だ! という自論を展開する方でした。

これは、はっきり言って、僕や僕の妻の考えと、まるっきり正反対のものでした。僕たちはどちらかといえば、『スポーツ少年団なんだから、一生懸命やるにはやるけど、基本は楽しくやろう!』という考えを持っていました。

少年団の方針も、監督の考え方も、だいたい僕と妻の考えに近いものでした。決して「勝利至上主義」ではありませんでした。しかし、その人は、それが気に入らない!…というわけなのです。

これは困りました。「怒れ、怒れ」といくら言われたって、怒りたくないのに、いったいどうやって怒ればいいのでしょうか? もちろん、もしも子どもが本当に悪いことをしたのなら、怒ります。でも、試合中に、ちょっと友だちと笑ったぐらいで、「がっつり怒れ!」と言われても、ちょっと困ってしまいます。困ってしまいませんか…?

それに、怒りのバロ・メーターというのは、人それぞれ違うのです。『このラインを越えたら怒る。』というラインは、人によって違うはずです。そこに、自分のモノサシを持ってきて、「このぐらいのことなんだから、怒って当然だ」と言われても…。

目次

悪口や批判は、客観的データになり得る

f:id:orange345:20170327114632j:plain

人は誰だって、誰かから悪口を言われたり、批判めいたことを言われるのは嫌なものです。しかも、その内容がこちらが全然、納得できないようなものであったり、完全に的外れなことだったりしたら、なおさら嫌なものです。

なかには、完全に誤解していたり、単なる言いがかりであったりすることもあります。できることなら、そういう言葉は耳にしたくありませんし、言われたくありません。そして、そういうことを言う人とは、「なるべく関わりたくない」と思うはずです。

でも、そういうことを完全に避けることはできないのです。生きていれば、人は大なり小なりそういう言葉を耳にし、そういう言葉を発する人と関わり合いになるものなのです。もうそこは諦めるしかありません。

でも、ものは考えようです! 悪口を言われたり、批判されたりするということは、その人にはそのように見えたその人にはそのように映った…ということです。つまり、それはきわめて『客観的なデータ』となりうるものなのです。

そのデータは、人間が生きるうえで大変貴重なデータです。「自分では決して発見できない自分」を具体的な言葉で言いあらわしてくれているのですから! 

もしもある人から、「あなた、暗いね」と言われたのなら、それは『自分は人から暗い人に見られている』ということになります。もしもある人から、「あなた、明るいね」と言われたのなら、それは『自分は人から明るい人に見られている』ということになります。

たとえその言葉が悪口であれ、批判であれ、まずは虚心坦懐にその言葉をいったん受け取らなければなりません。

それはアマゾンや食べログの「レビュー」のようなものなのです。「この商品は良くなかった」「ここのお店はおいしくなかった」「このサービスのこの部分は良かったけど、ここの部分は改善してほしい」etc…。

そういったレビューは、大変貴重な意見です。たとえネガティブな言葉であったとしても、その言葉から何を考え、それをどう反映させるかによって、その後の展開は大きく変わっていきます。 

怒る子育て VS 怒らない子育て

f:id:orange345:20170401125051j:plain

今回の僕のケースでいうと、「子どもを怒らない」「叱らない」「注意しない」といった内容で、その人に批判されました。その人から見れば、そのように見えたのです。そこは、厳粛に受け止める必要があります。

いろいろ反論したいことは、もちろんあります。すぐにでもこちらの言い分を聞いてほしいくらいです。そして、スポーツ少年団に子どもを通わすことについてのこちらの考えを聞いてほしい、という気持ちはあります。

だけど、そんなことをしても、あまり意味はないでしょう。「ここの料理、おいしくなかった」と言ってる人に、いや、それは違うんだ。こちらとしては、これこれこういう理由があって、こういう味付けにしてるんだ!…と訴えたとしても、ほとんど意味はありません。

残された選択肢は、こちらが味付けをその人好みに変えるか、その人がもう二度とお店に足を運ばなくなるか、のどちらかです。僕のケースでいうと、もっと子どもを怒るように方針を転換するか、それとも今までのやり方を貫くか、のどちらかです。

…そして、僕たち夫婦はよくよく話し合った末に、今までのやり方で子どもに接することに決めました。まあ、当たり前といえば当たり前なのですが…。

どうして、その人の言うとおりにしなければいけないのでしょうか? どうして、怒りたくもないのに、無理して怒らなきゃいけないのでしょうか? そんなの理不尽すぎます。

もちろん、意見が食い違っているわけですから、当然のことながら、モメます。大問題に発展していきます。でも僕は、別にモメたっていい、と思いました。こちらとしては、何も悪いことはしてないわけですから…。

スポーツ少年団というのは、基本的に楽しくやるものだと僕は思っています。『がんばれ! ベアーズ』じゃないけれど…。 

がんばれ!ベアーズ [DVD]

がんばれ!ベアーズ [DVD]

 

悪口や批判を言ってる人って、いったいどんな人?

f:id:orange345:20170326173105j:plain

でも、「子どもを怒らない」という批判を受けたことには、ポジティブな面も多々あります。悪口や批判を受け取ることは、なかなかむずかしいことです。でも、それを受け取ることによって、いろいろなことがわかってきます。

悪口を言われることや、批判を受けることのポジティブな面のひとつは、その悪口や批判を言っている人と自分は「対極」「正反対」である、ということが確認できる…ということです。

その悪口や批判を言っている人って、いったいどんな人? ということです。もしもその人が、自分が一目置いている人だったり、評価している人だったり、好きな人だったりなんかしたら、きっとものすごくショックを受けて、傷つくと思います。

だけど、今回のケースでいうと、まったく尊敬も評価もできない人でしたので、そういう人から何を言われたところで、僕としてはそれほどショックも受けませんでしたし、傷つきもしませんでした。まあ、愉快なことではありませんけどね…。

でも、そういうことを言われたとき、心のなかでは「まあ、もともとそりが合わなかったし、全然、違うタイプの人だったから、こういうことが起きても仕方ないかな。」とも思いました。

もしもあなたが、悪口を言われたり、批判されたりして、イヤな想いをしているんだとしたら、その辺りのことも少し考えてみてはどうでしょう? あなたに悪口を言っている人って、そんなにスゴイ人ですか? そんなに魅力的な人ですか? その人に何か言われたら、深く傷ついてしまうほど、たくさんの人から愛されてる人気者ですか?…たぶん、そんなことはないと思います。

だって、本当にスゴイ人は、人の悪口なんか滅多なことでは言ったりしませんから。

悪口や批判は、自分が実践していることを立証する材料となる

f:id:orange345:20170326114956j:plain

もうひとつのポジティブな面は、自分が実践していることを立証する材料となる…ということです。

悪口を言われる、批判される、そして、それを受け取るということは非常にむずかしいことです。でも、その悪口や批判の内容をよくよく吟味してみると、自分が考えて、普段から実践していることだったりします。

たとえば、あなたが黒い服が大好きで、黒い服ばっかり着ていたとします。それをある人が「あなた黒い服ばかり着てる。黒い服ばかり着てる」と、指摘したりしたとします。

でも、もともとあなたは黒い服が好きで、黒い服が着たくて黒い服を着てるわけですよね? それを批判されても、それについて悪口を言われても、よくよく考えてみたら、気にする必要なくないですか? 

僕の場合でいうと、うちは『怒らない子育て』というのを実践してきました。これは妻とよくよく話し合い、いろんな本を読んで勉強したうえでスタートした、我が家の方針です。

それぞれのご家庭には、それぞれのご家庭なりの方針というものがあるはずです。ある人は、ものすごく口うるさく、厳しく子どもを育てる方針の家もあるでしょう。ある人は、子どもをほったらかしにするという方針の家もあるでしょう。そのなかで、うちは『怒らない子育て』という方針を打ち出している家なのです。

もちろん、怒らないといっても、過保護に育てるとか、甘やかして育てるという意味ではありません。なんでもかんでもガミガミ怒ったり、怒鳴りつけたりしないという意味です。

だけど、そういう子育てが気に入らない!、と思う人もいます。その方針が「ダメだと思う」という人もいます。そして、その違いが『悪口』とか、『批判』というかたちで表面化してきてしまうことがあるのです。

その同じスポーツ少年団に通わせているお母さんは、おそらく『怒る子育て』を実践していらっしゃる方なんだと思います。そして、それが「正しい」と信じて疑っていない方なんだと思います。だから、あんなに子どもをちょっとしたことで怒鳴りつけるんです。

でも、うちは違うんです。うちは、それとは正反対の子育てを実践している家なのです。どちらが正しいとか、どちらが間違っているとかではなく、『違う』ということなんです。

その『違う』ということをその人はどうしても納得いかないんです。理解できないんです。

だけど、僕と妻は、その人がうちの子育てについて「全然、怒らない」と批判してくれたおかげで、自分たちが、「怒らない子育て」を実践できている…ということを確認することができました。

その人は、なんと、僕たちが「やろうとしていた子育てが実践できている」ということを立証してくれた人なんです。

自分のことは自分ではなかなか立証できないものです。ものごとを立証するためには、客観的でなくてはいけません。主観だけでは、判断できないこともたくさんあるのです。

子育てに関しても、自分たちでは「こうやってるつもり」「こうやってるはず」と、思い込んでいても、実は全然、できていなかったりします。人から言われたりしてはじめて、自分たちがやってることを確認することができるのです。

その人は僕たちに、「黒い服ばかり着てる」「黒い服ばかり着てる」と、指摘しているのです。でも、「黒い服を着たい!」と思ったのは、僕たちなのです。それを批判されても、困ってしまいます。

でも、逆に言えば、そう言われたことによってはじめて僕たちは、よし、僕たちは間違いなく、黒い服を着てるぞ!…ということが、確認できます。その人は、黒い服が嫌いなのかもしれませんが、僕たちは好きなのです。だから、仕方ないんです。どうか、「違う」ということを理解してもらうしかないんです。

あなたも、今、誰かから悪口を言われたり、批判されたりしているかもしれません。でも、それはあなたが悪いのではないのかもしれません。それは、あなたが失敗しているわけではないのです。

むしろ、あなたは成功しているのです。そして、その「あなたが成功している」という立証が、悪口とか批判によって、あなたは知ることができるのです。だから、その悪口や批判をポジティブにとらえてみましょう!受け取ってみましょう!