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シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。本当の豊かさは高い収入でもモノでもなく「自由な時間だべや」という信念のもと、なまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

劣等感を感じる時にどうすればそれを克服できるか?について


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こんなことを言うと、なんだかとても愚かしい気もしますが、僕は学校の勉強というものがまったくできませんでした。成績はいつも中の下くらい。大学も地元の三流大学にかろうじて合格したというレベルです。

この「学校の勉強ができなかった」ということを僕は長いあいだコンプレックスに感じていました。だけど、今になってみると、「それはそれで良かったんじゃないかな」とも思っています。「勉強ができない方がよかった」とまではさすがに言いませんが、できないのならできないなりの生き方をすればいいと僕は思っています。

言うまでもないことですが、学校でいい成績をとるためにはたくさん勉強をしなければいけません。たくさん勉強をするということは、それだけ時間を失ってしまうということでもあります。

学生時代というのは、学校もあるし、部活もあるし…で、ただでさえも時間が少ないものなのです。そのわずかな時間さえも勉強によって支配されてしまったら、自分の好きなことをする時間というのはまったくなくなってしまいますよね? 

僕の場合、勉強はできなかったけれど、その代わり、自分の好きにできる時間はたっぷりあった。…今にして思えば、それが良かったんだと思っているのです!

ほかの人が勉強しているあいだ、僕が何をしていたのか? といえば、本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたりしていました。「なんだ、そんなことか…」とお思いになった方もいらっしゃるかもしれませんが、本や映画、音楽といったものはものすごい力を秘めています。そういったものに触れることは、人生を生きる上で非常に重要なことだと僕は思っています。

僕は本や映画、音楽などを通じて、『想像力』のようなものを学んだような気がします。それは学校の勉強では決して学ぶことのできないものでした。僕はこの想像力のおかげで、随分と助けられました。この想像力があったからこそ、その後、僕の身におとずれる数々の試練(あるいは苦難)に立ち向かうことができたと思っています。

目次

「勉強ができる」ということは本当にいいことなのか?

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勉強がダメでも、部活で活躍するという道もあります。勉強も、スポーツもダメだけど、容姿に恵まれていればそれを武器に闘うこともできます。勉強も、スポーツも、容姿もダメだったら、芸術方面に活躍の場を求めるという道もあります。

今、話題のアドラー心理学でもくり返し登場する言葉が『コンプレックス(劣等感)』という言葉です。そう、人間はこの「コンプレックス(劣等感)」というものを原動力にすることができるのです。

僕は何をやってもダメな人間でした。何かで一等賞をとったことなんて一度もありません。そのことを僕はずっとコンプレックスに感じていました。そのコンプレックスを埋めるために、僕は何かをずっと探してきました。僕のこれまでの人生はそのコンプレックスを埋めるもの探しに費やされてきた、と言っても過言ではありません。

僕があれほどまでに本や映画、音楽の世界にのめり込んでいったのは、きっとそういう背景があったからだと思います。僕はそういったものの中に、「生きるヒント」のようなものを求めていたのだと思います。

そして、それと同時に、「この世の中のあり様」や「自分」ということについてずっと考え続けてきたのだと思います。もちろん、そんなことをしても一銭の得にもならないし、誰もホメてもくれません。学校の成績にも反映されないし、クラスの人気者になれるわけでもありません。

でも、今こうしてセミ・リタイア生活をおくることができるようになり、落ち着いた心でこれまでの人生をふり返ってみると、本や映画、音楽といったものと出合っていなければ、今のこの自由と幸せは手に入れることができなかった、と痛感します。

僕にとって本や映画、音楽といったものは『救世主』です。『神』です。『師匠』です。確かに、一見すると全然関係ないもののように見えます。だけど、それは大きく関係しているのです。本や映画、音楽といったものを通じて獲得することができた想像力。この想像力があったからこそ、僕は自由と幸せを手に入れる術を発見することができたような気がするのです。

「コンプレックスを抱いたことがない」ということが、逆にコンプレックスに…

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「人生の勝ち組」にいる人には、「コンプレックス」の入り込む余地はありません。だけど、そのことが必ずしもいいこととは限りません。逆に、「コンプレックスがない」ということが自分の足を引っ張ることにもなりかねないのです。

コンプレックスを抱き、「なんとかしたい!」と思っている人はいろんなことを考えます。ものを考えなければ、サヴァイヴしてゆくことができないからです。だから必死になってものを考える…。

必死になってものを考えていれば、やがて「何か」を発見します。ある人にとってはそれはお金も儲けることかもしれません。ある人にとってはそれは権力を握ることかもしれません。

ある人にとってはそれは人間関係のなかで優位に立つということかもしれません。ある人にとってはそれは精神世界の中に身を置き、満足感を得ることかもしれません。ある人にとってはそれは何ものにも拘束されることなく、自由気ままにに生きるということかもしれません。etc…。

…みんなものを考えたからこそ、「自分にとって大切なことはこれなんじゃないだろうか?」というものを発見するのです。そういったものを発見するためには、まず、ものを考える必要があるのです!

ところが、「人生の勝ち組」として、前半をスイスイと泳いできちゃった人は、あまりものを考えたりはしません。考える必要もなく、人生がうまくいったからです。そのことは必ずしも100%いいこととは言えません。

なぜなら、人生というのは「死ぬまで順風満帆」とはいかないからです。人間の真価が問われるのは、平時の時ではなく、有事の時である。…とよく言われます。何かの拍子につまづいた時こそが、本当の意味の「勝負どころ」となるのです。

そのいざという時に、普段からものを考える訓練をしていない人というのは、意外に脆く、弱いもの。大変恵まれた環境に身を置き、エリート街道をひた走ってきた人が、ちょっとしたきっかけで挫折して、それ以来、立ち上がれなくなってしまった、という例もあなたも知っているはずです。

「ものを考えずに済んだ幸福な時代」というは、もう終わってしまったのです。これからの時代は、たとえ東大を出た人であっても、ものを考えなければ生き残っていけない時代になっていくでしょう。もしかしたら、「コンプレックスを抱いたことがない」ということが、逆にコンプレックスになるような時代がやってくるかもしれません。

今は「ものを考えなければ生き残っていけない時代」への転換期

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日本をはじめとする先進各国は、間違いなく成熟期に入りました。もうこの先、爆発的な経済発展は望めないでしょう。イケイケ・ドンドンの時代は終わったのです。

「ハングリー」とか「ガッツ」とか「上昇志向」とか「ナンバー・ワンを目指す」といった勇ましい言葉は、プロスポーツの世界以外ではあまりリアリティを持たなくなってゆくはずです。

サラリーマンの世界でも『24時間働けますか?』的メンタリティはどんどん消えつつあります。「ロハス」「スローライフ」「シンプルライフ」「ダウンシフト」といった言葉がもてはやされているのも、そういった時代背景が影響しているからなのではないでしょうか? 

そのことは同時に、「ここを目指せばいいんだよ!」といった明確な目標が見えにくくなっている時代に突入したということでもあります。「ロハス」とか「スローライフ」という言葉は、どこかぼんやりしてますよね? 人間は「ぼんやりしたものを目指せ!」と言われても、不安になってしまうものなのです。

「経済成長」とか、「所得倍増」といったクリアに見えるものの方が安心するのです。しかし、時代は転換期を迎えています。「資本主義の終焉」がささやかれているような時代です。人々はその価値観の転換に明らかに戸惑っています。「どうしていいのかわからない!」という状態に陥ってしまっています。

そのことが今、世界じゅうのあちこちで起こっている騒ぎのひとつの原因でもあります。それは、「ものを考えなくても済んだ時代」から、「ものを考えなければ生き残っていけない時代」の到来を告げるものなのかもしれません。 

コンプレックスは最高の友達、コンプレックスは最大の武器

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僕もできることならば、親や先生からホメられたかった…。クラスの人気者でもありたかった…。でも、ないものねだりをしてもどうしようもありません。それができなかったんだから、仕方ありません。

普通にやってヒーローになれなかったんだから、何か別の方法を探すしかありません。僕の場合、それが不動産投資でした。それは僕が試行錯誤、紆余曲折のすえにたどり着いたものでした。

不動産投資というものに出合ったとき、僕は「これだ!」と思いました。もちろん、不動産投資は手ごわい相手です。手なずけるのは容易なことではありません。だからこそ僕は不動産会社に就職してまで不動産投資について学ぼうと思ったのです。

元来、「努力」とか、「根性」とか、「修行」といったことが苦手なはずの僕が人生のなかで唯一頑張ったのが不動産会社に勤めていたあの時期でした。頭のいい人や、何かに秀でている人はそんな面倒なことはしません。試行錯誤や紆余曲折なんかしなくたって、十分スムーズに生きてゆくことができるからです。

だけど、「楽あれば、苦あり」という言葉がある通り、ラクをした分、何かのかたちで苦しまなきゃならないこともあります。

そういった意味でいうと、僕は自分が何をやってもダメな人間であったことを感謝しなきゃいけないのかもしれません。さすがに「誇らしい」とまでは言いませんが、少なくとも、中途半端にチヤホヤされるよりは良かったと思っています。

コンプレックスは最高の友達。コンプレックスは最大の武器。…もしも今、劣等感を感じている人がいたら、そんな風に逆転の発想をしてみるのもいいと思いますよ!