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シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。北の国でなまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

これからの働き方は古代ギリシャ風にすべき!←どういうこと?


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額に汗して働かなければならない。…僕たちはこの言葉を何度も言い聞かされて育ちます。そしてこの言葉通り、社会人になると馬車馬のように働くようになります。

ほとんどの人はそうした生き方に何の疑問も持たず、定年まで働き続けます。 今ではもうこの言葉に対して疑問を抱く人はほとんどいません。「勤勉さ」は日本人の最も特徴的なところです。

この勤勉さがあったおかげで、我が国は世界に冠たる経済大国になれたのです。そのことは誇るべきことでしょう。しかし、「行き過ぎた勤勉さ」は自らの首を絞めることになる。…ということを人々は自覚していませんでした。

常軌を逸したような長時間労働を「勤勉さ」と言われても、困ってしまいます。「汗水たらして働く」って、そういうことなのでしょうか? 僕はそこに大きな誤解があるような気がします。そもそもの話、働くことって、そんなにいいことなのでしょうか…?

目次

資本主義は搾取によって成り立っている

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産業革命が起きたのは18世紀半ばから、19世紀にかけてです。それ以来、人間の労働力は「生産性を上げるための道具」として利用されてきました。今日まで続いている長時間労働の起源はこの産業革命にあるのです。

産業革命の発展にともない、人々の心に「仕事をすることは良いことである」という概念が植えつけられました。そのせいで、人々は「仕事をしない」という状態に罪悪感を抱くようになりました。

その結果、人間はますます長時間、働くようになったのです。労働者がたくさん働いてくれるようになり、いちばん喜んだのは経営者です。生産性は高まり、企業の利益はどんどん上昇しました。

そのうち、頭のいい経営者の一人がこんなことを思いつきます。「そうか。会社をもっと儲けさせるためには給料をもっと安くすればいいのか。」…かくして、「安価で労働者を雇い、長時間働いてもらう」というビジネスモデルが誕生しました。いわゆる、『搾取』のはじまりです。

搾取は今でも続いています。…というか、資本主義というのはこの搾取によって成り立っていると言っても過言ではないのです。この搾取をやめてしまったら、資本主義は崩壊してしまいます。僕たちが資本主義体制のなかで、なんとかそれなりに生きてゆくことができているのは、誰かが苦しい想いをしているおかげなのです。そのことを僕たちは忘れてはいけません。  

古代ギリシアの人びとにとって、「自由な時間」は最も尊いものだった

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現代社会に生きる人々の共通認識として、仕事をしないこと = 罪。…というものがあります。いわゆる「罪悪感」というやつです。しかし、古代のギリシアの人たちはこれとはまったく違う考えをしていました。

古代ギリシアでは、「労働」ということはそれほどの価値のあることではありませんでした。もちろん当時は奴隷制度がありましたから、階層の上位にいる人たちはまったく働く必要はありません。しかし、ポンペイの発掘調査で明らかになったように、当時は階層の下の方にいる人たちも、それほど苛酷な労働条件ではありませんでした(奴隷でさえも!)。

『テルマエ・ロマエ』でも描かれていたとおり、階層関係なくお風呂に入って語り合ったり、シエスタを楽しんだり、みんな結構幸せに暮らしていたようです。

 

当時の古代ギリシアの人たちが何をいちばん重要視していたのかといえば、それは『
自由な時間』でした。当時の人々にとって、「自由な時間」というのは何よりも尊いものでした。それは幸福とほとんど同じ意味を持っていたと言われています。

当時の人たちが働くのは、その自由時間を獲得するためのものでした。彼らは積極的に「自由時間」を追い求め、彼らはその自由時間のなかで自分を磨いていきました。哲学はそうした自由時間のなかから生まるのです。

すべての学問は哲学に通ずる。…という言葉があります。「哲学」こそがこの世に誕生した最初の学問だったのです。数学とか、医学とかという学問は、哲学から派生していった学問なのです。

しかし今では、「自由な時間」を追い求める空気はすっかり沈静化してしまいました。とくに社会人になってから自由を追い求めるようなマネをしようものなら、まわりから寄ってたかって袋叩きにされます。

自由な時間を得ようとすることは、そんなに悪いことなのでしょうか? いつから僕たちは自由な時間を得ることに罪の意識を感じるようになってしまったのでしょうか?

僕は自由に生きたかったから、会社を辞めました

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僕は37歳のときに会社を辞めました。なぜサラリーマンの世界からドロップアウトをしたのか?…その答えははっきりしています。自由に生きたかったからです! 

勤め人であり続けるかぎり、自由な時間はほとんどありません。ご存じのとおり、サラリーマンは朝から晩まで働きづめの生活をおくることになります。僕はそのようなライフ・スタイルに耐えられなくなってしまったのです。会社に自分の人生が拘束されることが嫌になってしまったのです。

はっきり言って、この社会のなかでサラリーマンの世界からドロップアウトする道を選ぶということは、なかなかしんどいことです。簡単なことではありません。だけど、自由な時間を追い求める生き方を選択するのならば、そのしんどさを引き受けなきゃいけません。そのしんどさと引きかえにして、僕たちは自由な時間を手に入れるのです。

今、僕はつくづくこう思っています…「ああ、本当に会社を辞めて良かったなぁ…」と。あのままサラリーマンとして馬車馬のように働く毎日をおくっていたら、今頃僕はきっと頭がおかしくなっていたことでしょう。

実際、多くのサラリーマンが今、心や体に傷を負って生きています。そこまでして働くことにいったいどんな意味があるのでしょうか? 額に汗して働かなければならない。…人々はあまりにもこの言葉に縛られ過ぎているのではないでしょうか? 

もう少し古代ギリシアの人たちのことを見習った方がいいのではないでしょうか?