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シンプルに。自由に。

北海道でアパートの大家業をしてます。4人家族。映画が好き。猫が好き。北の国でなまらのんびり生きてます。“every cloud has a silver lining.” したっけ!

モノや便利さとひきかえに僕らが失ったものについて


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僕は以前、幸せというのは「ひととおりのモノがそろっている状態のこと」だと思っていました。マイホーム、クルマ、生活家電、携帯電話、パソコン、衣服、家具、etc…。貧乏生活をするのは嫌だったし、いろんなモノを購入できる生活が豊かさの象徴であるかのように錯覚していました。

しかし、だんだんと年をとるにつれて、その考え方に疑問を抱くようになっていきました。

もちろん、相変わらず貧乏生活は嫌です。僕は不動産の世界に身を置いています。そこで僕は貧困にあえぐ人をたくさん見ています。貧乏というのは悲惨なものです。誰が好きこのんで貧乏生活をおくりたいと思うでしょうか?

いっぽう、じゃあ、モノが豊富にあれば、それで幸せを得られるのか? といえば「それも違う」と僕は思うようになりました。モノに囲まれ、生活が便利になることと、幸せになることはまったく別のことなのです。

たくさんのモノを買おうと思ったら、その分、たくさん働かなきゃいけないよね? ある程度のモノを揃えようと思ったら、お金を得る必要があります。お金を得るためには働かなければなりません。

10万円の生活費を稼ぐためには、10万円以上稼ぎ出す労働をしなければなりません。30万円の生活費を稼ぐためには、30万円以上稼ぎ出す労働をしなければなりません。もしもひとつひとつのモノのグレードを上げたいと思ったらその分いっぱい働く必要があります。

本当はガラケーで済むはずなのに、スマホにしなきゃならない。本当は賃貸マンションでいいはずなのに、4,500万円もの住宅ローンを抱える。本当は中古でいいはずなのに、新車のワン・ボックス・カーを乗りまわす、etc…。

服も、電化製品も、家具も…「少ない数」で生活しようと思ったら、なんぼでも出来るはず。それなのに、我々はいつの間にか、ある程度のグレードを維持しなければいけない。…という強迫観念にかられてしまっているのです。

その結果、人生のほとんどの時間を「労働」に費やし、自由な時間を犠牲にする生活を余儀なくされているのです。本末転倒とはこのことを言うのではないでしょうか? 

一生懸命働いて喜ぶのは、あなたの勤めている会社の社長さんです。たしかに出世すれば、多少は年収はアップするでしょう。歩合制だったりなんかすれば、一時的には報酬がもらえるかもしれません。だけど、それは一瞬だけのこと。あなたが稼いだお金は、きっと「モノ」の購入資金に消えてゆくはずだし、そうやって苦労して手に入れたモノだって、実際に手にしてしまえば、もうそれで終わりです。

最初の1,2週間は手に入れたことの興奮に包まれるかもしれませんが、その後はそれを購入したことすら忘れてしまうことでしょう。そのモノを購入するのにいったいいくら支払ったのか? さらに、その購入代金を稼ぎ出すのに、どれだけ頑張って働いたのか? …そんなことはすぐに忘れてしまうはずです。

目次

どんなに新しい商品が誕生しても、すぐに慣れて、古くなっちゃう

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日本は世界一の経済大国になりました。その結果、僕たちのまわりにはたくさんのモノがあふれ、生活も便利になりました。それはとても素晴らしいことです。

もしも戦後になってもずっと貧しいままの国だったら、それはそれで問題だったと思います。しかし、人間というのはすぐに慣れてしまう生きものです。

どんなに苦労して、何千万円もの借金をして手に入れた新築マンションも10年をすれば劣化が進みます。その頃にはきっと近くに建築された新築のタワー・マンションのことを羨ましく思っていることでしょう。

クルマだって法定耐用年数は6年です。新車で買ったクルマも6年もすれば、古臭く思えてくるはずです。i-phoneが発売されたとき、「とんでもないものが発売された!」と興奮したはずです。でも、今、その頃に発表された初期のi-phoneを持っていたとしても嬉しくもなんともないでしょう。もうとっくにi-phone6に機種変しているのではないでしょうか? 

どんなに新しい商品が開発されたとしても、ワクワクするのは一瞬のこと。そのワクワクはすぐに醒めてしまうのです。

モノや便利さと引きかえに、僕たちは何かを失ってないかい?

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だけど、それらのモノを購入する「労働」はずっと続きます。勤め人を卒業でもしないかぎり、それは一生続くのです。「少しでもいいモノをたくさん購入したい」という欲求がある限り、我々は働き続けなければならないのです。

それは年収1000万円の人も、年収300万円の人も同じことです。いっぱい働くためにはギュウギュウ詰めの満員電車も我慢しなければなりません。職場の悪い雰囲気の人間関係にも耐えなければなりません。厳しいノルマも達成しなければならないし、サービス残業も当たり前の毎日をおくらなければなりません。

家族とどこかに出かけても仕事のことが気になって仕方がない休日を過ごさなければなりません。もちろん、単身赴任や海外勤務にも文句ひとつ言わずに従わなければなりません。

どんなに年をとっても、昇級試験があれば、そのために死ぬほど勉強しなければなりません。最近では英語も話せるようにならなければならなくなりました。

…それらのことは、過大なるストレスとなって、働く人を襲うことでしょう。世の中で、これだけたくさんの人がウツになっているのも、うなずけます。僕はそのストレスに耐えられなくなって、そこから逃げ出したのです。

もう少し、モノが少なくてもいいのではないでしょうか? そんなにそんなに便利にならなくてもいいのではないでしょうか? 子どもの頃、なんでも出来てしまうドラえもんの四次元ポケットに憧れました。でも、もし本当に異次元ポケットなんてものがあり、いろんな諸問題が解決されたら、きっととんでもなく生きづらい社会になることでしょう。

我々は、モノや便利さとひきかえに何かとても大切なものを失くしてしまったのかもしれません。